ある初夏の夕方、「お野菜とれましたー」と幼児組のお友達数名が園庭でとれた夏野菜を給食室へ持ってきてくれました。「ありがとう、今度の給食でつかうのでお楽しみにね」と返事をしました。
このように畑で野菜が沢山収穫ができたときは新鮮なうちに給食に使い、子ども達が食べられるように工夫しています。
今年入園した幼児組のAさん、保育園の生活に慣れていない頃は給食も食べ慣れていないためか、食べられないものも多い印象でした。元々苦手な食べ物が多く、特に野菜が苦手なAさんの食事の様子を見に行くと想定通り、サラダには一切手を付けていない状態でした。「園庭でとれたきゅうりのサラダだよ、食べられる?」とサラダを指差しながら聞くと、首を縦に振りました。「自分で食べられる?」と聞くと、もう一度首を縦に振り、自分で食べ始めたのです。その後、主菜のおかわりもしていたそうです。当初は「食べられる?」と聞くと、口を結んだ状態でプイッと顔を背け、「何なら食べられそう?」と和えてあるサラダの具材を単品ずつ分解して食べられそうなものだけ食べるといった形でしたが、ものの数ヶ月で自主的に食べられるようにな姿を見る事ができ感慨深い思いです。さて、食べ物や料理の中で好きなものと苦手なものの感じ方には全て理由があります。味付け、におい、食感、形状、色彩、調理法、見栄え、分量、経験、環境、食材の組み合わせ、総合的な食べやすさ…過去に汁物のお麩が苦手な子がいました。お麩なんて味もにおいもないのにと思われますが、子どもからしてみればそれらが理由ではなく、何か他に別の理由があります。自分も幼少期はかなりの少食で偏食でしたので、食べられない子どもの気持ちはとてもわかります。苦手なものはないに越したことはありませんが、子どもの頃に苦手とするものを早々に克服するのはなかなか困難です。そのまま大人になっても苦手な場合もよくありますし、他の食材で栄養素は補えますので、無理に克服させる必要もありません。無理によって余計に苦手になることもありますね。ただ、苦手としていたものが、とあるきっかけで突然食べられるようになった経験はありませんか?それは、幼少期ではなく、学生時代だったり、あるいは社会人になってからだったりしませんか?価値観というものはきっかけがあれば意外と簡単に変わるものです。食育は「苦手なものでも多少なり興味を持ち、食べられるようになる、好きになるきっかけをつくる」アプローチでもあります。
栽培活動、収穫体験、給食提供はその一つ一つにすぎませんが、それらの積み重ねによって結果的に子どもたちに利益をもたらすと考えています。幼少期は味覚が敏感で、特に腐敗に関わる「酸味」、毒に関わる「苦味」を感じやすいので、元々本質的に「酸味」と「苦味」は苦手です。ですので、生野菜サラダにドレッシングをかけたものを苦手であるとした場合、それはわりと珍しくないと考えることもできます。その場合、温野菜にしてあげたり、酸味の少ない味付けにしてあげたりすると、少しは食べられるようになるかもしれません。あるいは野菜の刻み方や調理法を変えるなど、工夫は様々です。今回Aさんが自主的にサラダを食べられた理由としましては、味付け、見栄え、食べ慣れてきたという経験、食材の組み合わせ等が考えられますね。今回はわかりやすく苦手なものを野菜としましたが、「固いから」肉が苦手、「口の中でまとまりにくいから」魚が苦手、「味、におい、食感を理由に」果物全般が苦手という子もいます。いずれ食べられるようになってもらえば、それは本人に利があることでもありますので、今は無理しなくてもいいと思います。苦手なものは少しにして、一口頑張って食べられれば、苦手なので食べられないことを先に言ってもらえればそれでいいのです。大人でも食事で苦手なものはできるだけ避けます。ある一部の大人の中では、食事で「苦手なもの」に関して「おいしくない」と全否定する人もいますが、それは「おいしくない」ではなく、正しくは「自分の口に合わない」です。その食事を好きな人もいるわけで、自分ではわからない魅力が何かあるはずです。自分に合わない世界はこの世にいくらでもあると思います。「相手が悪い」のではなく、あくまでも「自分に魅力がわからない、合わないだけ」と考えたいものです。何に対しても当てはまると思いますが、今すぐにできなくても、豊富な食体験を培い、将来的に幅広く美味しいと感じられるようになってもらえれば保育園栄養士冥利に尽きますし、完璧を求めず、急がず、その子のペースでおいしく食事をしてもらえれば、それで嬉しく思います。
栄養士 中島




