園長日記

2014 年 2 月 14 日 金曜日

 昔話は、長い間、民衆の間で語り継がれてきました。それは、民俗学者である宮本さんは、「その語り口が素朴であるとともに、健康で、しかも空想的であった。」からであったとしています。なので、全国各地のお年寄りたちは話を面白おかしく、迫力を込めて話すことができたわけではなかったのですね。さらに昔話は、「もともと神話の要素を持っていたからであるが、そういうものの中に人々の心情をくみ取ることができる。」という特性があったからのようです。さらに、昔話に人気があったのは、こんな特徴があったと言っています。「昔話の中には、多くの成功談がある。これには二通りの条件がある。ひとつは桃太郎やスネコタンパコや瓜子姫のように、ふつうの人間とはちがったうまれ方をしたものが、不思議な力を持っていて成功してゆくはなしである。」
 たしかに、人はハッピーエンドの話を好みます。それは、アメリカでもアメリカンドリームといわれる成功物語が好きです。しかし、意外と、ヨーロッパに伝わる昔話は、残酷で、悲惨な最期で終わる話も多いような気がします。それは、グリム兄弟が集めた昔話には、そのような話が多くあります。それは、それらの話から、子どもたちへのしつけをしたり、戒めを教えた役割があったからでしょう。その点、日本における昔話は、意欲や気持ちを高揚させる役割があったのかもしれません。
 宮本さんは、もう一つの特徴をこう書いています。「貧乏だが、おっとりして正直で、だまされ通しのような人間だが、だまされても苦しめられても対して苦にしない。愛情だけは十分持っていて、心はあかるい。花咲爺やカチカチ山の爺さんなどのような人である。そういう人は、いろいろのものに助けられている。草や木も鳥も獣もその仲間なのである。」このような内容の話は、日本独特のようです。というのは、このような、八百万の神、自然物すべて仲間であるという考え方は、日本の道徳観の基本にあるからです。
   このような話でも分かります。「“聴耳草子”の話のように耳にそれをあてると、木や鳥の声が何を話しているかわかるというような杖や頭巾を手にいれる。そしてそれによって幸福を得るのである。昔話の世界では、猿も犬も、キツネもタニシもみんな人間と同じようにふるまっている。そしてまた善良で素朴なものには、それが人間と別個の世界として存在しないのである。」たしかに、世界でも動物が登場する話は多くあります。しかしそれは、イソップのように動物だけの世界であったり、赤ずきんちゃんのように動物が悪者であったりする話はありますが、桃太郎のように人間と動物が力を合わせるような話は少ないかもしれません。
 こんな魅力が昔話にあったと宮本さんは言います。「長い間、人々の口から口へ語り伝えてきたものの中に、現実の生活を肯定し、その生活を懸命にうちたてようとする人間的な情熱があふれているのであるが、そうした話が、子ども達の耳にはここちよかった。表現が率直で素朴なだけに子どもたちの心を打った。」最近のテレビの中に、このように子どもの心を打つものがあるのでしょうか?そして、心を打つからこそ、子どもにとっては学習になるのです。
 「その生活はさびしく貧しいものであっても多くの農民たちが、健康にして素朴な生活をうちたて、虚無的にならなかったのは、こうした子ども時代の子どもなりの教養が、苦しみにたえてゆく力を生んだのであろう。」何が幸せか、何が心を豊かにするか考えさせられます。やはり、宮本さんは、当時の状況を憂えています。
 昔話には日本に伝わる子育ての原点があるように思います。これからも絵本や紙芝居を通して、豊かな感性と心を養っていきたいと思っています。

 

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