園長日記

2012 年 11 月 30 日 金曜日
   この時期になると毎年、普段以上に歌や楽器、メロディが各クラスから聞こえるようになります。生活発表会を意識した活動が増えてくるからです。基本的には、子ども達が興味を示しているものや得意なことをお見せできるようにしていますので、特別な練習をするというよりは、今までやってきたことの形を整理して、更に楽しみながら行えるように保育の中に取り入れています。どのクラスの子ども達も生き生きとした表情で行っており、よく見ると一緒にいる職員も楽しんでいるようです。立派な鼓笛隊や素敵な衣装での劇はありませんが、一人一人が今の自分の出来ることを、ちょっとだけ背伸びしながら励んでいます。予行練習の時、幼児組の子ども達の、時折見せる表情には意欲と真剣さが伝わってきます。    最近では、絶対音感を身に着けたり、バイオリンを弾く子どもがテレビに登場することも頻繁に見られようになりましたが、乳幼児の時に触れ合う音楽とはどのようなものが望ましいのでしょうか?私はいつも考える時に子ども達の表情を見るようにしています。そして、何を与え、何を教えるかではなく、子ども達が何を受け取り、どう導くかだと思っています。だからこそ、子ども自身が選び、実践することを保障するのです。    生活発表会の当日に、子ども達がどんな表情をしているかが楽しみですね。本番まで楽しみにお待ち下さい。     (おたよりの続き)    先日、ある園で、1歳児クラスを担任していた男性職員が、ギターを伴奏に歌を歌っていました。その時、子どもたちがあまり乗っていない様子でしたので、歌の最後のところを大きく音程を外して歌ったところ、子どもたちは大喜びでした。それは、すでに音程の正しさを知っているということでしょう。しかし、近くにいた女性の保育士さんは、「歌というものは、音程を正しく歌うものよ!」と注意したそうです。このことはどう考えればいいのでしょうか。しかし、私は自分のことを考えると、小学校に入っても音程ということは分からなかった気がします。高い音は女性の音で、低い音は男性の声ぐらいしか認識がなかった気がするのですが、今の子は、日常で音楽に触れているせいか、早いうちから音程というものがわかっているように感じます。    「音楽」とは、いったい何でしょうか。ある年の赤ちゃん学会の話し合いで、「音楽」が取り上げられていたことがありました。それは、例えば「保育」の場では、赤ちゃんであっても保育者が歌いかける際には「元気よく」「正しいメロディ」で歌うことを求められることが多く、語りかけるように「歌いかける」というような、歌がもたらす本質を伝えようとする姿を見ることは少ないのですが、保育の中でこそ、目前の赤ちゃんひとりがどのように音楽を味わい、またさらに表出する力を持っているのかを、充分に知る視点を持つことが必要なのではないだろうかということが提案されていました。    「赤ちゃんはどんな音楽を求めているのでしょう?」「赤ちゃんと音楽にはどんなかかわりがあるのでしょう?」「赤ちゃんが音楽を楽しむために、私たちは何をしてあげられるのでしょう?」そのために、まず保育者が音楽を楽しみ、保育者の中の音楽を磨き、保育者にとっての音楽とは何かを先ず問いかけることが必要ではないかということを提案しています。    人間の赤ちゃんは、静かな環境に比べ、子守唄や遊び歌などの音楽に愛好性を示しますが、人間以外の動物の中には、訓練しだいで音楽的な刺激の区別ができるものもいますが、概ね、音楽よりも静けさを好むことがわかっています。人間の赤ちゃんや子どもは音楽が好きで生まれながらの素質は持っていますが、その音楽とはどういうものを好むのでしょう。実は、赤ちゃんは、オーケストラとか、吹奏楽などという大掛かりな音楽を好むというより、もっと身近な音楽から親しみます。    多くのお父さんやお母さんが、まだことばを話すことができない赤ちゃんに語りかけるように歌いかけます。その歌は、親は、子どもの反応を見ながら、赤ちゃん向けにテンポやリズム、旋律を変えています。それを「対乳児歌唱」というそうですが、この存在は、多くの文化で認められているそうです。さらに、子どもが成長するにつれて、この歌いかけるというスタイルを、子どもと一緒に歌いやすいように変化するといわれています。赤ちゃんや子どもにとっては、このお父さんやお母さんが歌いかけや一緒に歌ったりすることは、大人が普通に歌った歌よりもひきつけられることが知られているそうです。 いつもの保育園からの帰り道やお風呂の中などの時間を利用して、子ども達が音楽に触れ、興味を持って音楽と暮らしていけると良いですね。子どもと一緒に歌を歌いながら、大人も一緒に楽しんじゃいましょう。

12月15日ごろ「音楽表現」について載せます。

2012 年 11 月 17 日 土曜日
 乳幼児教育においてとても大切なことは「発達」を促し、助長することであることは周知のことですが、発達といってもよくわからないことがあります。それは、人間は、他の生き物に比べて非常に複雑であり、その複雑さを人間の力だけで解明できるはずはないからです。しかし、人間は、その複雑さをきちんと整理しながら、いろいろなことを獲得していきます。その獲得していく過程において、何が助長し、促すのか、また、人間は、自分にとって必要なものを複雑の中から何を選択していくのでしょうか。古い時代には、発達は遺伝的要因にその大部分を依存する過程と考えられていて、遺伝的に潜在している可能性が時間の経過に従って次々に開花してくる事を発達と呼んでいました。いわゆる、いくら教育したって、生まれつきなので仕方ないと思われることが大部分を占めていたのです。しかし、現代においては遺伝的要因と同等に環境的要因が重視されていて、機能的発展以外にも人格の成熟や知性の発達といった観点を合わせて生涯にわたっての発達が考えられています。  また、発達は、必ずしも成人期にいたるまで右肩上がりで直線的にしていくものではなく、成人期までの変化の中でも、一時的な発達の停滞や表層的な逆行が見られることがあるといわれています。また、逆に成人期以降の変化でも生物学的な加齢と並行して発達の下降や衰退が必ず起こるとは断言できない部分があります。その為、発達には従来の「上昇・下降」といった価値判断を含まない事になり、一生の間の変化として発達を考えるようになりました。即ち、小さい子どもは、最初は未発達で、次第に発達していき、いろいろなことができるようになるという考え方ではなくなったのです。ですから、人間は、一生の間にどのようにいろいろな部分が変化しているのかという「生涯発達」という観点が必要になってきているのです。  この「生涯発達」という観点からそれぞれの年齢における行動、行為は、生涯にわたって影響を及ぼすことがあり、赤ちゃんから、その時期々に振り分けられた、その時期に現れる行為を十分に行うことができるようにすることが「発達の援助」であり、その後の「発達を助長」することになるのです。それは、発達にはいくつかの特徴があり、留意点があります。  一生を通して連続的に進行する変化の過程としてみたときに、その進む速さは一定ではなく個人差がありますが、発達は一定の規則・型に従って進んでいきます。発達のスピードの差が生まれる原因としては、遺伝的な個人差があり、性差があり、発達過程の環境などがあります。しかし、どんなに個人差があっても、「発達の順序性」という発達の規則があり、発達は一定の決まった順序で進行していきます。たとえば、シャーレイという人の研究では、人間の乳児期の発達で順序性を考えると、「胎児姿勢→あごを上げる→肩を上げる→支えて座れる→膝に座ってモノを掴める→椅子に座る→一人で座る→支えてもらって立つ→家具に掴まって立つ→ハイハイする→手を引かれて歩く→家具に掴まって立つ→階段をハイハイで上がる→一人で立つ→一人で歩く」というように、発達を順番通りに経過していくことになります。この発達の順序性の順序が乱れたり、飛躍したりする場合には、発達上の何らかの問題や異常がある場合が考えられます。しかし、それぞれの発達が、生後何ヶ月児に起こるのかという発現の速度には個人差がありますので、おおむね何歳はどんな発達過程にあるのかということはあまり意味がなく、かえって、その年齢における目標になりかねません。また、その基準よりもわが子は早いというような早期教育に走ることも問題になります。  発達は連続的に、しかも、順序を飛び越すこともなく進んでいきます。だからこそ、関わる大人が個々の発達をしっかりと見ながら、丁寧に関わる必要があります。その時の一瞬一瞬を大切に関わりながら、子ども自身が成長しようとする姿を、周りの大人が見守っていかなくてはならないのですね。