園長日記

2011 年 9 月 30 日 金曜日
 夏の保育が終わり、少しずつ運動会を想定した遊びが、どのクラスも見られるようになってきました。ありがたいことに、運動会には毎年、お父さんやお母さんはもちろんの事、おじいちゃんやおばあちゃん、小学生の兄弟とたくさんの方が応援に来てくれます。核家族が広がる現代で、一人の子に対してこれほどの人がたずさわっているのだなと感じる、数少ない機会です。また、子ども達も、大勢の方が応援に来てくれるというだけで、今まで出来なかったことにも挑戦をして、その成果をみんなに見てもらいたいと思っています。みんなが見ていてくれるということは子ども達にとっては大きな励みになります。そして、出来た喜び、出来なかった悔しさを共感しながら、子ども達は新たな目標を見つけていきます。  さあ間もなく運動会です。毎日少しずつ成長している子ども達の姿をしっかりと見て頂きたいと思います。 (おたよりの続き)    京都大学霊長類研究所の松沢さんは、長い間のチンパンジーの研究を通して、人の生き方を見つめてきました。そして、今、なにを思い、どんなメッセージを人類に向かって投げかけているのでしょうか。最近の若者に向けてこんなことを言っています。「こういう能力があった方がいいとは少しも思いません。みんなそれぞれ違っているからいい、というのが生物学的な真理なので、そのままでいいんじゃないですか。もしずうっと立ち尽くしている子がいるとしたら、ポンと背中をたたいて「歩いた方がいいんじゃないの」と言いたくなりますね。言ってもどうにもならないと思ったら、チンパンジーと同じ教えない教育を見習うしかなくて、ポンと背中をたたいて自分が歩いてみせます。するとトボトボついてきますよ。」   チンパンジーに限らず、生き物は生き方を次の世代に伝えていきます。それは、教える教育ではなく、示す教育ということなのでしょう。ただ、そのきっかけをつくってあげればいいのです。しかし、その時にも、自分を客観視することが必要だと言います。それを、「目の前のことを一生懸命に、じっくり取り組むのがいいと思います。同時に自分を冷静に見守るようなもう1つの目を持っているとさらに素晴らしいですね」自分が自分を「見守る」ことが必要だと言います。それは、乳幼児期の体験からできるようになるのかもしれません。松沢さんは、こう思っています。「ヒトの赤ちゃんは常に、何かを自分が達成したらそれを見てくれている人がいることに気づきながら育つようです。いろいろなものに興味を持って、いろいろなものに手を出し、遊びます。同じ表情で同じものを見てくれている人がいる。家庭でもそうですし、保育所でもそうです。そういう人と赤ちゃんはやりとりをします。指差しをして、「あー」という。それを見てくれている人がいるのだ、後ろを振り返ってやっぱり見てくれたね…という表情を返します。赤ちゃんは何か面白いものがありそうだな、というところを見ます。そしてこれは何?という感じで振り返ると、必ず応えてくれる人がいます。そして、相手の視線と気持ちを確認したら、また、相手のまなざしを背景に新しいものの探索に行くわけです。常に見守ってくれる人が後ろに控えています。その人は、普通はお母さん。でも、保育士さん、お父さん、それ以外の家族でもよいです。」後ろから赤ちゃんを見守ってくれている人に対して、赤ちゃんは、自分のことを見てくれているのだという安心感だけでなく、自分と同じものを見ている人がいるという安心感があるような気がします。    子どもに対して、周りの大人はこう思ってほしいと松沢さんは、チンパンジーのアイちゃんとその子アユム君を見て考えます。「自分の子どもがその人生を全うするのを、見守る、一人の人間として自分の生に満足するように生きていくことを応援してあげようと、後ろから見守るような立場で、子どもの成長につきあっていくことが必要です。しかし、今の時代は競争社会です。自分の子どもをこのように育てたのだ、私が育てあげたのだという親の思いが強くて、それに子どもが潰されてしまいかねないようになっています。最近は、「子どもが授かる」という言葉が無くなり、「子どもを作る」ということ、理想の子どもを作るというような違い、「授かる」と「作る」の違いから、本能の部分が少なくなって、逆に文化で様々な多様なものを作っていく能力の発達した人間の一つの側面が現れているのかもしれませんが、本来の自然であったらそうであるような関わり方が、雑音、雑念に惑わされて、違う方向に行っていることは残念であると思います。素直な関わり方で、虚心に子どもを育てる、育つのを見守るというような形で親と子がお互いに関われれば良い方向に行くのではないかと思いました。」と言っています。    「親」という字は木の上に立って見守ると書きます。まさに先人の行ってきたことを今も行うことが大切だということですね。 運動会ではしっかりと見守られた子ども達の姿をよく見て頂きたいと思います。 次回は10月15日頃載せます。
2011 年 9 月 10 日 土曜日
  人間の想像力や創造力は、脳の中では前の方にある前頭前野であることはよく知られています。抑制という機能も、前頭前野の働きの一つで、その機能のために他の部分の情報を遮断し、体験、行動、思考の必要なものだけ取り出し、より複雑な思考、計画、行動をとることができるようになります。子どもは、物事に集中しないとか、あちらこちらキョロキョロするとか、すぐ飽きてしまい次々に目移りしていくと言われますが、いろいろな情報がまだ整理する抑制という機能が働いていないということがあります。    しかし、この抑制は、創造力や学習能力を自由に働かせるためには逆効果です。人類にとっては、突拍子もない発想が必要な部分もあり、発明家や新たな物を生み出す人が今の社会に新たな文明を与えてくれているのも事実です。    前頭前野は、脳の中でも幼児期を通じて最も変化が著しい部分であり、その意味では活動は盛んです。完成した後も、幼児期で経験した事が色濃く残ります。幼児期の想像力や学習能力、つまり、自由な発想を基とした遊びや経験からは、大人になってから計画的な行動や、行動を知的に調節するために必要な情報が得られるのです。知能指数は、前頭葉の遅さや可塑性((かそせい)と相関があるという証拠もあります。抑制のない開かれた心を長く保つことが、賢くなる条件なのでしょう。」    「子どもは、今をより善く生きる」ということが一番大切なのでしょう。決して、大人を小さくしたものでもなく、大人より劣っているわけでもなく、子どもという存在自体に意味があるのです。また、幼児期を象徴している「遊び」も、大人から見ると意味のないものに見えますが、「遊びは、目的語を持たない分だけ究極の主体性を持つもの」という認識があります。よく、「子どもは勉強などしないで遊んでいればいい」と言いますが、これは少し違っています。「子どもは、遊ぶことによって勉強している」のです。子どもにとっては、遊ぶことこそ学びであり、人間らしい、計り知れない価値を持つものなのです。    決められたことをするだけではなく、自分で見つけ、触れ、感じ、考えて行動することこそが、前頭葉の働きを活性化かせ、天才的な脳を作るのです。そういう意味では、子ども集団は、天才の宝庫ですね。未来を担う子ども達に期待したいです。 rimg0006