園長日記

2011 年 5 月 15 日 日曜日
赤ちゃんを見ていると、いろいろなことをし始めています。それを過去、ずっと今まで私たちは受け継いできた。そして、私たちの人類という種をこのあとも受け継いでいくために、遺伝子的に多分いろいろなものを兼ね備えているのです。それぞれの生きものはすべてそうです。外国の名著で『利己的な遺伝子』という本があるのですが、そういう意味では非常に利己的です。自分たちを子孫に残すための遺伝子ですから、ある意味ではほかはあまり関係ありません。自分たちを残していけばいいのです。しかし、途中でいろいろなことを悟ります。自分たちの遺伝子を残すためにほかをないがしろにしていいか。そうしたら自分たちの遺伝子も残せないことを知り始めます。他を大切にしていかないと、他と共に生きていかないと、自分たちの遺伝子さえ残せないということを知ります。だから、利己的になればなるほど共生という概念が生まれてくるのです。人と一緒に生きていかなければいけないということを、赤ちゃんは自然に感じ始めるのです。そして、いろいろな仕草を見るときに、これはなぜそういうことをするのか、ほかの生物と人間の違いがだんだんわかってくるのです。  例えば、いろいろなものにじゃれたりします。人間の赤ちゃんもライオンの赤ちゃんもいろいろなものにじゃれます。しかし、何のためにじゃれているか、何ためにいろいろなものをいたずらしているかというと、ライオンの赤ちゃんは将来狩りをするためにじゃれます。ですから、じゃれるときにものをいたぶるような感じでじゃれるのです。  赤ちゃんは何のためにじゃれるか。これは多分将来道具を使い始め、いろいろなものを発明するためでしょう。というので何をするか。ものをめくる、つまむ、引っ張る、押す、そういうことをしたがるのです。道具を使うようにするために指先や腕を使おうとします。  それから、発明するためにそのものを知りたくなる。当然、開けようとしたり、中身を見ようとしたりするのです。引き出しがあったら必ず開けようとします。狩りをするためには引き出しはいりません。人類は多分引き出しがいるのです。中に何が入っているか。それなのに大人は「触っちゃ駄目」と怒るのです。触らなければ人類ではないのです。よく家庭でも大人が「駄目、それ触っちゃ」と言います。でも、それは、触ってはいけないものを置く大人がいけないのです。赤ちゃんは触るに決まっています。触るから当然壊してしまうの、「あーあ、壊しちゃった」となります。壊すに決まっているのです。壊さないと中身を知ることが出来ませんから。大人が「あー、壊しちゃった」と言うけれども、壊してはいけないなら置くものではないのです。では、片付ければいいか。それだったら人類は生きていくためにその能力を持てないので、触ってもいいもの、壊してもいいものを置かなくてはいけないのです。  というように考えたら、大人と違って赤ちゃんの行動にはあまり無駄がないのです。当然遊びもします。しかし、その遊びは大人の遊びとは違って無駄な意味の遊びではないということを感じます。