園長日記

2010 年 2 月 25 日 木曜日
先月のおたよりに保育園での子どものルールについて書きましたが、2つ目のルールは「人やものを傷つけない」です。小さい頃はまだ言葉で上手に話せない分すぐに手が出てしまいます。それが少しずつ言葉で解決したり、自分自身を抑える気持ちがついてきます。それが「自律」です。 広辞苑には“外部からの制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること”とあります。つまり、「他律」から「自律」に変わるということです。先生や親との関わり、子ども同士の関わりの中で、良いこと悪いことの区別がつくようになり、自ら考えて行動できるようになるのですね。最近は大人でも出来ていない人が増えているように感じます。どの子にも、子どものうちからしっかりと「自律」をしてもらいたいと思っています。 (おたよりのつづき) 自律しない人が多くなると、当然他律が多くなります。「ごみを捨ててはいけない」と自分で考えて捨てなければ良いのですが、捨てる人が多くなれば、「捨てると罰する」という規則を作らなくてはいけなくなります。人は自分ひとりだけで生きているわけではありません。人々の中でそれぞれが心地よく生きるためには、ビジネスで成功することだけでなく、それぞれが自律心を持つことが大切ですね。子どもの頃から自律が身についていると、大人になったときそれが大きな力になるでしょうし、社会も変わっていくんじゃないでしょうかね。
2010 年 2 月 13 日 土曜日
福沢諭吉は、「西洋事情」のなかで「自由」という言葉を使っていますが、その訳は適当であるか迷っていたようです。これを読むと、自由という訳語に悩むというよりも、自由という考え方を述べている気がします。古人の言葉に、「一身を自由にして、自ら守ることは、どんな人にでも備わっている天性であり、人情に近いもので、この自由を守ることは、財産を守るよりも大切なことである」と言って、「勉強が終わって、遊びに行きたいという子どもに対して、親といえどもこれを止めることはできない」とも諭吉は言っています。 しかしこのように注意をしています。自由とは、決してわがままとか放漫とちがって、人を妨害してはいけないのです。お互いに認め合うことで自分自身の幸福も得られるのです。彼の「中津留別の書」の中でも、自由とわがままについて書いています。 「ひと口に自由といえば我がままのように聞こゆれども、決して然らず。自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、おのおのその持前の心を自由自在に行われしめ、我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、人の天然持前の性は正しきゆえ、悪しき方へは赴かざるものなり。もし心得ちがいの者ありて自由の分限を越え、他人を害して自から利せんとする者あれば、すなわち人間の仲間に害ある人なるゆえ、天の罪するところ、人の許さざるところ、貴賤長幼の差別なく、これを軽蔑して可なり、これを罰して差支なし。」つまり自由とは、自分のことだけを考えず、他人のことを考えて行動し、自分の心の想いを実現すること。もともと持っている性質はみな正しいものなので周りのことを考えて行動出来れば、悪い方へは行かないだろうと言っています。「自由」という漢字は「自らに由(よ)る」です。「自らに由る」とは「独立」や「自立」「自律」と言ってよいかもしれません。そう考えると、「自由」とは我々が思っているよりもとても厳しく難しいものなのかもしれませんね。