園長日記

2017 年 11 月 11 日 土曜日

 韓国にある、延世大学校医科大学小児精神科教授であり、新村セブランス病院小児精神科の医師でもある申宜真が、ずいぶんと昔になりますが、2004年に「かしこい親の子育て術“ゆっくり子育て”はこんなにすごい」(小学館)という本を日本で発刊しました。この本の内容は、教育熱、早期教育に走る韓国の親たちに警鐘をならしたものとして、韓国・中国で30 万部のベストセラーになりました。
 申宜真教授の著書は、小児精神科の専門医としての立場からではなく、二人の子どもを育てている親として執筆されました。そこには子どもを育てる際に、物質的な保障や子どもへの無条件の愛に固執する韓国社会にある独特の雰囲気を想定しつつ、「子どもをどれだけ愛しているかではなく、どのように愛しているか」が重要であると説いています。
 韓国人の特性の一つに「せっかち」とか「性急」があると言われていますが、この特性は、育児にも表れます。そこで、申宜真教授は「ゆっくり育てる」という提案をします。それは、子どもを放任するということではなく、過度に発達の先取りをするという雰囲気に惑わされることなく、子どもの成長段階、発達段階に会わせた育て方をしようと呼びかけたものです。そのために、子どもの発達段階に即した思考力が育っているがどうかが最重要であるとして、「one step behind」と「one step ahead」の子育て戦略を提唱しているのです。「one step behind」とは、「一呼吸おいてから対応する方法」で、「子どものなすがままを見守り、何かに好奇心を示したときに親がそっと後押しすればよい」という考えです。
 一方、「one step ahead」とは、子どもの気持ちを先回りして理解、共感することです。この「one step behind」という考え方は、昔からある日本の言葉の「見守る」に通じるものがあります。その考え方は、日本の近代以前の時期の子育ての特徴であり、柳田國男のいう「児やらい(コヤライ)」の思想と同じであると言われています。それは、「突き放すのではなく、一歩後ろから見守りながら、子どもの自然な性向に従って発達を促す、子ども主導とおとな援助の姿勢を示す教育方法である」と説明されているようです。
 どんなに時代が変わっても、変えてはいけないものがあるのですね。一歩下がり、我が子の姿をしっかりと見守っていきたいですね。

2017 年 10 月 31 日 火曜日

 近年、世界中で、教育の改革がされるようになってきて、ずっと教育を変えようとしなかった日本でも、とうとう教育改革が行われることになりました。
 最近話題になっている「アクティブラーニング」という言葉はご存知でしょうか?これは、先生からの一方的な授業を聞く事とは対照的に、生徒たちが主体となり、仲間と深く考えながら課題を解決する力を養うのが目的で、その力を養うために討議やグループワークを行う授業のことを言います。 
 2020年から大学センター試験も新しくなるというのも、ここからきています。教育の改革を速やかに進めるために、まず大学を変え、その大学へ進学するために、高校、中学、小学校、そして、幼稚園や保育園にも影響を及ぼすことになるでしょう。あと数年でこれほどの変化が起きようとしています。
 なぜ、このような改革するのでしょうか?IT技術の進化によって「知識=情報」は瞬時に得られる世界となりました。それまでは、知識をたくさん獲得していることが頭がいいとされていました。しかし、今はインターネットをはじめ、誰でも容易に知識を得られる時代です。したがって今後は、知識を取捨選択できる判断力が求められることになります。加えて、その知識を使ってどう考えるのか、どのように新しいことを生み出すのかといった思考力や創造力も求められる社会になるでしょう。先行き不透明な時代のなか、新しい価値観が生まれてくる未来において、柔軟に変化に対応していく能力を持つ人材を育てる必要があるとして、政府は教育改革を推進しているのです。
 木月保育園で行っている、これらのことを、多くの保育園や学校では、まったく行っていません。株式会社の経営する園では、早期教育をうたい文句に経営を進めています。
 一方で、お隣の韓国でも教育に対してとても力を入れています。
 子ども達にとって、何が必要で、何を選んでいくのか?今、保護者の皆様に問われている問題です。

(おたよりの続き)
 お隣の韓国では教育に対して近年とても力を入れています。教育の質を問われた時に、質の評価はなかなか難しいものがあります。例えば、「卒園児の何人が有名小学校に入学した」といった塾にあるような指標があるといいのですが、幼児教育の目的はそれではありません。では、卒園児は世の中に出てこんな活躍をしているとか、成人して有名人になったとか、何人、大学教授になったかということも判断基準にはなりません。それは、必ずしも幸せな人生を送る要素ではありませんし、そうなることが偉いわけでもないからです。
 また、早期教育を熱心にしているとか、皆、すでに小学校の教科を修得しているということも短期的には意味があるかもしれませんが、長期的に見ると、それはあまり意味がないだけではなく、かえって小学校に行ってから学業成績が下がってしまうことも分かっています。
 そのような中、韓国では、各国の保育を参考にし、それぞれのいいところを取り入れて、韓国独自のカリキュラムであるヌリ課程という、日本の幼稚園教育要領や保育所保育指針のようなものを作成し、それに沿って保育をすることで、ある質を担保していることがわかったのです。
 今日、韓国では日本の大学入試センター試験にあたる大学修学能力試験が行われる時には、警察官が遅刻しそうな受験生を会場まで送り届けたり、航空機の運航が制限されたりするなど、国を挙げた支援が展開されている姿が毎年ニュースで取り上げられています。このような国を挙げての支援は、なんだかふしぎな気がします。韓国社会は日本以上少子化が進んでいます。それは、この受験のように激しい競争の中で、「少なく生んで、上手に育てる」という考えが広がっているからです。しかし、その「上手に」が問題です。多くは、「自分の子どもを誰よりも賢く育てたい」という親たちの熱望であり、そのために、英語学習、中国語学習や過度の商業主義による様々な早期教育が行なわれています。幼児施設において、質が高いと言われている園では、このようなことには振り回されず、国が決めた標準教育課程とヌリ課程に沿って保育をしていますが、多くの園では詰め込みが激しいようです。
 そんな中で、2004年に「かしこい親の子育て術“ゆっくり子育て”はこんなにすごい」(小学館)という本を日本で発刊した、申宜真教授の著書は、小児精神科の専門医としての立場からではなく、二人の子どもを育てている親として執筆されました。実際、この本に書かれているのはいったいどのような内容なのでしょうか?

 

11月15日ごろ韓国の最新の子育てについて載せます

2017 年 10 月 15 日 日曜日

 1970年代に心理学者のウィリアム・デーモンによって行なわれた子どもたちの平等に対する意識は、小学生だけではなく、もっと幼い子どもにも見られたことが、やはり心理学者であるクリスティーナ・オルソンとエリザベス・スペルキの調査でわかりました。
 彼女らは、3歳児に、ある人形が、他の二体の人形にステッカーやチョコレートなどを配るのを手伝ってもらいました。主人公の人形と二体の人形の関係にはいくつかのパターンがあったそうです。たとえば、あるときは主人公の人形のきょうだいと友だちだった時、またあるときはきょうだいと他人だったり、友だちと他人だったりしました。オルソンとスペルキは、ステッカーやチョコレートが偶数個だった場合、主人公と二体の人形の関係にかかわらず、3歳児はほぼ例外なく、主人公の人形に、同じ個数ずつそれらを分配させようとすることを発見したのです。
 このような平等バイアスが子どもには強いということの事例が、さまざまな年齢、さまざまな場面で見られることがわかったのです。たとえば、オルソンとアレックス・ショーは、6歳から8歳の子どもたちに、「マーク」と「ダン」の話をします。2人は自分たちの部屋を掃除して、ご褒美に消しゴムをもらいます。「消しゴムを何個ずつあげたらいいのかしら。手伝ってくれる?ありがとう。それじゃ、マークとダンにいくつ消しゴムをあげるか決めてね。ここに消しゴムが5つあります。一つはマーク、一つはダンに、一つはマーク、一つはダンに。あれ!1個余っちゃったぞ」
 研究者たちが、余った消しゴムを「ダンにあげたらいい?捨てちゃったほうがいい?」と尋ねると、子どもたちは、ほぼかならず、捨てたほうがいいと言ったそうです。研究者たちが、マークもダンも消しゴムが余計にあることは知らないのです。ですから、どちらかに1個余計にあげても、1人がほくそ笑んだり、うらやんだりすることはないと強調しても、結果は変わらなかったそうです。この実験でも、子どもたちは平等を強く欲し、平等の実現のためには何かを犠牲にすることもいとわなかったのです。
 これと同じ状況の時に、大人だったらどうでしょうか?100ドル札が5枚あるとして、それを二つの封筒に入れて、それぞれ違う人に送るとします。平等に分ける手立てはありません。しかし、だからといって、5枚目のお札を現実にシュレッダーにかけるでしょうか?と、ブルームは問いかけています。ショーとオルソンの研究に登場する子どもたちは、少々平等を気にしすぎていないだろうか?これほど平等に一途なのは、調査が家庭以外の場所で行なわれているせいではないだろうか?確かに、なにしろ、アメリカの心理学者が被験者としてどの子を選ぶかというと、選ぶ子どもたちの幼稚園や託児所は、常日頃から平等の規範を子どもたちの頭にたたき込む施設、すなわちどの子も一等賞で、全員が平均以上のコミュニティなのです。おそらくこういった経験は、なんらかの影響を与えてはいるでしょうが、近年の一連の研究で、平等バイアスは、学校や託児所が、子どもたちの選好を形作るずっと前に芽生えていることがわかっているそうです。
 最近の研究は、子どもたちにみられる行為の起源はいつなのだろうかということが多い気がします。そして、その結果、次第に早い時期から行なうということがわかってきています。
 早い時期からみられるということは、それらは決して学習で得られるものではなく、人類にとって遺伝子で受け継がれてきたものであるということであり、それは、人類の生存戦略の中で必要なものであり、生きていく上で必要な力であったのでしょう。
 平等バイアスが、幼児にもみられたということですが、心理学者であるアレッサンドラ・ゲラーチとルカ・スーリアンは、生後10ヶ月児と1歳4ヶ月児に、ライオンとクマが、ロバとウシに2枚のカラフルなディスクを配る人形劇を見せてみました。ライオンは、ロバとウシにディスクを1枚ずつ配ります。クマは、ディスクを2枚とも1匹の動物に与え、もう1匹には何も与えません。その後で、子どもたちにライオンとクマの人形を示し「どちらがいい子かな?いい子を教えて」と尋ねたところ、10ヶ月児の回答はバラバラだったそうですが、1歳4ヶ月児は公平な分配者を好んだそうです。それは、ライオンとクマを入れ替えてもやはり1枚ずつ配った方を選んだそうです。
 子どもの意志の表現を知ることはなかなか難しいものがあります。それは、小さい子どもはなかなか自ら表現しないので、わかりにくいからです。しかし、最近あかちゃん研究が進んだ理由に、視線や、そのものを長く見つめるかどうかで判断する方法を見つけたからということがありました。
 こんなに小さい頃から、何が平等なのか、等しく与えられていないということも知っているってすごいですね。大人が教えるよりもずっと前からこのようなことを分かっているとはびっくりです。改めて、子どもへの接し方は、子ども扱いするのではなく、一人の人間としての対応が必要ですね。

2017 年 9 月 29 日 金曜日

 木月保育園では保育方針に「仏教精神に基づく保育」を創立以来掲げています。仏教精神と言っても分かりづらいので、主に「平和」と「平等」を大切にしているとうたってます。
 「平和」とはみんなが仲良くするということで分かりやすいのですが、仏教でいう「平等」という考えは、一般的に知られている「平等」とは少し違っています。一般的に言う「平等」は一つの物を半分に同じ量に分けて等しく分配することを言います。しかし、仏教では体の大きい人と小さい人ではご飯を食べる量も違いますし、それぞれ好みや趣味も違います。その中で、みんな等しく分配するのではなく、一人一人に合ったものや量を与えるのです。つまり、与える側の「平等」ではなく、受け取る側の「平等」なのです。
 しかし、最近の研究では、このような木月保育園でいう「平等」ではなく、等しく分配するということをなんと赤ちゃんの頃から出来る力が備わっているというのです。赤ちゃんの力は本当にすごいですね。この研究結果を聞いて思い出すのは、どのクラスに行っても、例えば一人の子どもにジャンケンをすると、必ずと言っていいほど他の子どもも等しくやってもらうことを求めてきます。結果、その周りにいる子ども全てとジャンケンをすることになります。「私も、私も」と言ってくる中には、きっと、みんな等しくという「平等」の考えが入っているのからなのかなと思いました。
 今後もみんな等しく、しかも一人一人に合った「平等」な保育を提供していきたいと思います。

(おたよりの続き)
 アメリカ国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)による研究の沿革が書かれてあります。その中にある最近の赤ちゃん研究を見ていると、赤ちゃんは決して大人の未熟な存在ではなく、大人以上に能動的な存在であることが分っています。見られるよりも、自ら見ることを喜ぶ、教わるよりも教えようとする、笑いかけられてそれに反応するのではなく、子どものほうから笑いかけている、などが分っています。
 もう一つ、現場で実際に子どもを見ていると思うことがあります。それは、日本における教育基本法の中にある教育の目的に、「民主的な社会の形成者としての資質を備える」ということがありますが、赤ちゃんは元々民主的な生き物であるということを感じることがあります。人類は、生まれながら協力をするという遺伝子を基盤として生まれることが分かっています。また、人にものを分け合おうとします。その行為の中には、相手の権力、地位、そんなことは関係ありません。どちらかというと、人格重視です。そして、赤ちゃんだけに限らず、子どもの意識の中には、多数決という多い人数が少数意見を押しやるという考え方はないようです。少数意見を大切にしてあげることを見ることがたびたびあります。同時に、公平であることを大切にすることを見ることもたびたびあります。自分だけで独占しようとせず、人にものを分け合おうとすると同様に、自分だけ何かをしてもらうことはせず、他の子にもしてあげることを要求することがあるのです。
 数年前に「ジャスト・ベイビー」を書いたポール・ブルームは、本書の中で、「平等な分配は、子どもたち全体の幸福を最大化する。1人に一個ずつおもちゃを与えれば、2人とも幸せ。不平等な分け方をすれば、何ももらえない子どもは、みじめ。その悲しみは、おもちゃを二つもらった子の余計分の喜びを上回る。だが、単刀直入に言おう。必要もないところに不平等を作り出すのは単純に間違っている。」
 大人にとって「平等」という感覚は、とても難しいものがあります。ただ、同じようにすることが平等であることにはならないことがあるからです。しかし、1970年代に、心理学者のウィリアム・デーモンは、子どもたちの公平に対する考え方を明らかにしました。この研究は、とても影響力のあるものでした。その研究方法は、子どもたちに面接を行ない、彼らの考え方を聞いてみたのです。すると、子どもたちは結果の平等を重視し、その他の留意事項は気に留めなかったことがわかったのです。7歳4ヶ月の子どもと、面接の中でこんな会話をしています。
 実験者:誰かが他の人より多くもらうほうがいいと思う?子ども:ううん。だって、それは公平じゃないわ。誰かが35ペンスもらって、誰かが1ペニーしかもらわない。それじゃ公平じゃない。実験者:クララは、自分は他の人より、たくさん物をつくったから、他の人よりお金をもらえるはずだと言ったよ。子ども:だめよ。それはおかしいわ。クララが人より多く、例えば1ドルとかお金をもらって、他の人が1セントしかもらえないのは公平じゃないもの。実験者:クララが、他の人より少しだけ多くもらうっていうのはどう?子ども:だめ。みんな同じお金をもらうべき。公平じゃないもの。
 このような平等へのバイアス(偏り)は、もっと幼い子どもにもみられるようです。

10月15日ごろ平等への偏りについて載せます。

2017 年 9 月 15 日 金曜日

 ミシェルは研究の中で三つのシナリオを考えました。「厳しい基準」のシナリオでは、モデルは自分自身に厳しくし、子どもにも同様に厳しくしました。彼女は、自分のスコアが20点という、とても高いときだけチップを取り、「これは良いスコアだわ。これなら、チップを一つもらってもいいわね」とか「このスコアは自慢できるわ。自分にご褒美をあげなくちゃ」というように、自分を褒める言葉を述べました。スコアが20点に満たない場合はいつも、チップをもらうのを控えて、「あまり良いスコアではないわね。これでは、チップはもらえないわ」というような自分への批判を口にしました。彼女は、子どもの成績もまったく同様に扱い、高いスコアの時には褒め、低いスコアの時には批判的でした。
 「モデルに厳しく、子どもに甘い」シナリオでは、モデルは自分自身には厳しいが、子どもには寛大で、子どもには、スコアが低くても自分にご褒美を与えるように仕向けました。「モデルに甘く、子どもに厳しい」シナリオでは、女性は自分自身には寛大で、子どもには最高点の時だけ自分にご褒美を与えさせる厳しい基準を置きました。
 これらの条件下で行なわれた実験のどれかに子どもたちを参加させたあと、チップを自由に取れる状態にして置くという条件は変えずに事後テストを行ない、子ども一人だけでプレイしたときの、自発的な自己報酬の行動をこっそりミシェルは観察しました。自分にも子どもにも厳しかったモデルから学んだ子どもは、最も厳しい基準を採用しました。この条件では、モデルは子どもが最高のスコアの時だけ自分にご褒美を与えるように促し、同じ基準を自分自身にも課しました。モデルが自分に採用した基準と、子どもに強いた基準に一貫性がある場合、基準が厳しく、ご褒美は望ましいものだったにもかかわらずモデルが不在でも子どもたちは一度として逸脱せずに、その基準を採用しました。モデルが絶大な力を持ち、とても望ましいご褒美や報酬を管理していると子どもが思っているときにはとくにこの結果がはっきりと出ることも、この研究から明らかになったそうです。
 自分に甘くするよう促された子どもたちは、モデルが自分自身に厳しかったのを見ていても、事後テストで子どもだけになったとき、自分に甘かったそうです。ゲーム中、自分自身には甘いのに、厳しい自己報酬の基準を押しつけてくるモデルから学んだ子どものグループでは、半数が教えられた厳しい基準を守り続け、残る半数は、モデルが自分自身に採用しているのを見た甘い基準を使ったそうです。
 自分の子どもにも厳しい自己報酬の基準を採用させたいのなら、この基準を採用するように子どもを導くのと同時に、自分の行動でもその基準を手本にするのがいいことが、この研究から窺われるとミシェルは言っています。大人に一貫性がなく、子どもに厳しいのに自分には甘い場合、子どもは押しつけられた基準ではなく、大人が採用していた自己報酬の基準を使う可能性が高いという結果が出たのです。
 この研究はとても興味深いですね。また、保護者に対してや保育において参考になります。子どもに厳しい基準を自ら課すことをさせたいのなら、きつく言うとか、強要させるよりも、自分の行動でもその基準を手本にすることが必要だというのです。自分だけ甘くして、子どもに厳しくても、決して子どもには伝わらないのです。まず、我が身からですね。

2017 年 8 月 31 日 木曜日

 保育園にはたくさんの先生がいますが、多くの子どもは、先生から多大な影響を受けます。例えば0歳児の頃から「模倣」と言って人の行動を真似るということをする様になります。すると、そのことを意識して先生も手遊びなどをしながら、少しずつ真似てもらうようにします。そして、その「模倣」が様々な行動のきっかけとなり、日々の成長へとつながっていきます。その事は家庭でも同じです。両親の行動をよく見て真似をして、少しずつ成長していくのです。
しかし、この「模倣」は必ずしも良いことだけを真似るというものではありません。厄介なことに、悪いところも真似てしまうのです。なので、例えば箸を上手に使えない子どもの両親を見てみると、ほとんどの場合、両親のどちらかは箸を上手に使うことが出来ません。いつの間にか「模倣」を行い、気付かぬうちに真似をしているのです。
更にもっと恐ろしいのは、この「模倣」は運動面だけのことではありません。日々の生活や態度、性格まで真似てしまうのです。しかも「三つ子の魂百まで」のことわざのように、小さなうちから良い面、悪い面両方をコピーしてしまうのです。
そう考えると、社会人の先輩としてわれわれ大人は、子ども達に見られているという事を常に意識して、どう振舞わなければいけないかを考えながら行動する責任があります。良き行いを自ら実践し、子どもの手本となるような大人が増えてくると良いですね。

(おたよりの続き)
子ども達は多くの場面で、我慢を強いられることがあります。例えば「このお菓子は今は食べちゃいけませんよ」と言われた時、大人も同じように我慢している場合と、横で大人だけはお菓子を食べている場合、子どもはどのような反応をするのでしょうか?きっと、日ごろから厳しく躾けられている家庭では、大人の言ったとおりにするかもしれませんが、そうでない場合は、「大人だけずるい」と言って、大人を真似てお菓子を食べ始めるのではないでしょうか。
 もちろん、上記には「子どもが食べられないものが入っている」や「今食べたらこの後の食事が食べられない」等、色々な条件があるかもしれませんが、それらの条件が一切なかった場合においてではやはり、大人の真似をしてお菓子を食べてしまうのではないでしょうか。
躾けに関しては、各家庭ごとに、それぞれ違います。そして、その根底には、両親がそれぞれ育った家庭の影響を多く受けているはずです。その暗黙のルールを元に、子どもへの躾がされているのです。
 ミシェルが、この分野で興味を持つようになったのは、彼の娘さんが小学校に入学して早々に、とても自慢の作品を家に持ち帰った時のことだそうです。それがきっかけとなり、幼いころから自分が成し遂げたことに対してどのように価値基準を設けるのか、そしてその基準を満たしたとき、どのように自分にご褒美を与えたり与えなかったりするのかを調べるために、一連の研究に取りかかったのです。
 そして、次のような疑問に取り組むことになったそうです。「こういったかたちの自己報酬や自己制御を導く社会化の経験や、暗黙のルールとは何だろう?」「子どもが“意志疲労”を起こして、自分はよくやったと喜び、少々自分を甘やかしてご褒美を上げる頃合いだと判断するのはいつだろう?」「もっと厳しい基準を満たすまで粘って、欲求充足を先延ばしにするのは、いつだろう?」「それとも、努力を続けること自体が喜びになるのだろうか?」
 モデルは、私たちがどんな人間になるかに多大な影響を与えるので、私たちが子ども時代から、自分自身を評価したり調整したりするために発達させる価値基準が、モデルによってどう導かれるのか、というようなことをミシェルは研究したくて仕方なかったそうです。大人のモデルの特徴や行動は、幼児が何を習得したり、真似たり、ほかの幼児に広めたりするかに影響を与えます。スタンフォード大学で、ミシェルは学生たちと、マシュマロ実験の研究と同時に、子どもがどうやって自己基準を獲得するのかを調べる実験を開始したそうです。この研究では、モデルの特性や自己報酬の行動に変化を持たせて、大人が部屋を出ていったとき、幼児たちが自分の基準に取り込んだものに大人がどんな影響を与えたかを調べたのです。
 調査は、大学のそばにある地元の複数の小学校から、4年生の少年少女を選び出して行なわれました。個別のセッションで、子どもを一人一人、モデル役となる若い女性に引き合わせ、女性は子どもに「一種のボウリング・ゲーム」を見せます。子どもたちがどれだけそのゲームを気に入るかを、おもちゃ会社が調べているということにして、調査をしたのです。
そのゲームとは、長さ1メートル弱のボウリング・レーンの小型模型で、1投ごとにスコアを示す電光表示板が先端についています。レーンの先のピンが置かれる場所は遮断されていて、プレイヤーにはボールがどのピンに当たったのかが見えないようになっているため、結果を知るには、電光表示されるスコアが頼りでした。このスコアはあらかじめ設定されており、実際の成績とは結びついていませんでしたが、プレイヤーが信じて疑わないようにうまくできていました。すぐ手の届くところには、大きな器があって、チップがたくさん入っており、子どもやモデルの女性が成績に応じて自分へのご褒美として使えるようになっていました。チップは、ゲーム終了時に価値ある賞品と引き換えることができ、多ければ多いほど良い賞品がもらえると子どもたちには伝えます。きれいに包装された賞品が、部屋のよく見えるところに置かれていましたが、それについて説明はしませんでした。
ゲームは、モデル役の女性と子どもが一度に一投ずつ交替でプレイしました。さまざまな子育てのスタイルをシミュレーションするために、モデルが自分の成績に対してどのように自分にご褒美を与えるのか、そしてまた、どうやって子どもに自分の成績を評価させたり、自分にご褒美を与えさせたりするのか、三つの異なるシナリオを考えておきます。どの子どもも、これらの条件のうち一つだけに参加しました。
どのような結果が出るか楽しみですね。

9月15日ごろその結果について載せます

2017 年 8 月 12 日 土曜日

   世界では、育児についての考え方が若干違うようです。その中で、ミシェルらの研究によって、少しずつ変わり始めていますが、まだまだ変えることに抵抗しようとする人たちがいることは、どの国でも同じような状況です。アメリカの上位中流階級の親たちは、子ども中心の生活を送っていると言われており、仕事から急いで家に帰り、子どもに捧げる最高に「充実した時間」を確保し、愛情とご褒美をたっぷり与え、子どもに好きなようにさせているようです。ですから、マクドナルドでハンバーガーが出来てくるまでの数分間さえ待てない子どもに、発作的な金切り声を上げ放題にさせている親の姿もしばしば見かけるそうです。一方、フランス式の育児では、未就学児もしっかり躾けるので、パリの洗練されたレストランに一緒に連れて行くことができ、両親が食前酒を楽しんでいるあいだ、子どもたちは見せかけだけでもおとなしく座り、インゲン豆を添えたステーキがくるのを待っていられるという評判だそうです。
   ある中国系アメリカ人の母親は、理想的な子どもを育てる上で禁止すべき事項について、友人宅でのお泊まりやプレイデイトという親同士の合意のもとに約束を取り付けて子どもたちだけで遊ぶこと、テレビ、コンピューター、ゲーム、Aよりも低い成績などからなる、長いリストを用意しました。これは、エイミー・チュアが、2011年に出版された著書「タイガー・マザー」の中で示した、バイオリンかピアノを弾くのに秀で、どの授業でもいちばんになりそうな子どもを育てるための基本原則だそうです。
 その十数年前、ジュディス・リッチ・ハリスは、同年代の仲間集団による社会化や遺伝子的特徴こそが子どもの人生を形作る二つの重要な要素ですから、親がどうやって育てようとあまり関係ないと主張しています。逸話や個人の意見の範疇を超えるためには、実生活でさまざまな子育ての条件下で起こることを慎重に操作した実験を行なわなければならなくなりますが、そのような研究は不可能であるとミシェルは言います。それでも、子育ての営みに関連した問いを投げかけ、その答えを得ることはできると言います。子どもにとって意味ある現実的な条件の下で、大人を手本とした短期間の実験をすればいいのではないかとミシェルは考えているようです。
   この見解について、私も「集団による社会化や遺伝子的特徴こそが子どもの人生を形作る二つの重要な要素」というところは同意するのですが、「同年代の仲間集団」だけではなく、「さまざまな年齢からの影響を受ける仲間集団」が必要だと思っています。更に「親がどうやって育てようとあまり関係ない」というところについても疑問を感じます。「同時に、育つ中での環境の影響が関係してくる」と思っています。親こそ人生の先輩であり、良きお手本だからです。

2017 年 7 月 31 日 月曜日

   いつも元気に遊ぶ子ども達。その中に、時々、ポツンと一人で過ごしている子を見かけることがあります。心配になって話しかけてみても、うんともすんとも言わず、スーとどこか別の場所に行ってしまいます。気になって、担任にその日の様子や体調面、保護者とのその日の関わり等を聞いても、特に気になることはありません。私の中では「モヤモヤ」とした気持ちになりますが、もしかしたら、何も理由がないのかもしれません。
   ふと自分のことを当てはめてみると、「今日はたまのお休みだ―」やりたいことはたくさんあるはずなのに、なぜかボーとしてしまう時があります。毎日毎日、楽しい遊びが保障されている保育園では、時には、「何もしない喜び」があるのかもしれません。もちろん、毎日何もしないようであればそれは重大な問題ですが、一日中ボーとしているというよりは、その瞬間のある一時だけのようですから、やはり「何もしない喜び」に浸っていたのだと思います。
   人生においても、毎日を充実し、張りのある生き方をすることはとても大切なことですが、時には、「何もしない喜び」に包まれる時間があっても良いなということを教わった気がします。

(おたよりの続き)
 いつも仕事で忙しい未来志向のアリであるのをやめて、キリギリスのように行動する資格が自分にあると感じるのは、どういうときだろうかという疑問を「マシュマロテスト」のミシェルは持ちます。自分をリラックスさせ、ホットなシステムを優勢にして、心底好きな「マシュマロ」を自分に与え、返事をしていない電子メールや明日やるべきことのリストなど忘れてしまっていいのは、どういうときだろうかという疑問です。
 何もしない喜び、予定も立てずに海辺で過ごす週末、大都会へのお出かけ、あるいは人生を称えるためにただ家で過ごす休暇といった楽しみを、自分に許す気持ちは何が引き起こすのだろうか?ミシェルは、こう言っています。「地に堕ちてトップ記事を飾るヒーローたちのような愚かな振る舞いをする必要はさらさらないが、どんなときに自制を一時的に中断して、面白いことを今楽しむのを自分に許すべきかを、あるいは、逆にどんなときにこういった喜びを先延ばしにして、将来得られるもっとたくさんの大きな報酬のために、先に進み続けるべきかについて、私たちはみな暗黙のルールを持っているように思える。」と言います。
 保育室内を、子どもたちが何かをやりたいと思うことをやることができるゾーンを作ります。そのゾーンでは、熱中し、遊び込みます。しかし、子どもたちだって、その日によって、その時間によって、何もしたくないときもあります。気分が乗らないときもあります。何も考えず、ただ「ぼーっ」としていたいときだってあります。そんな子を、何もしない子、集中しない子、やる気のない子として決めつけ、追い立てるかのように、何かをやらせようとすることがあります。しかし、やりたくないときだってあるのです。その気持ちが保障できるスペースも保育室には必要な気がしています。
 また、いくら時間が押しても、次の活動の時間になっても面白いことに取り組んでいる子もいます。先日も、二歳児の部屋で、ある子が食事前におもちゃの電車で遊んでいました。何度声をかけても食事に行こうとしないのですが、そんなときに無理矢理にやめさせても、ぐずるだけなので、少し相手をして遊んでいました。すると、5分もすると、満足して、自分からもうやめると言って、さっさと食事をする準備を始めました。きっと、もう食事の時間であるということは承知していたのでしょう。きっと、自分の中に、暗黙のルールがあったのだと思います。
 私たちは、このようなルールをどうやって作り上げるのだろうか?という疑問をミシェルは持ちます。これらの疑問に対する答えは、子どもの育て方や、自分自身の扱い方に直接影響を与えるとミシェルは考えています。
 メリハリをもってテキパキと活動する時も必要ですし、時にはのんびりと活動する日があっても良いかも知れませんね。

子育ての影響について8月15日ごろHPに載せます。

2017 年 7 月 15 日 土曜日

 先延ばしにする能力が、最初は低くても、年を経るうちに待つのがうまくなる子どももいれば、幼い頃は喜んで待てるのに、やがて自制の水準が下がってしまう子どももいます。実験から、誘惑の心的表象の仕方次第で、誘惑が行動へ及ぼす影響を変えることも、逆転させることさえも可能なのがわかりました。1分も待てない子どもでも、頭の中での誘惑の思い描き方を変えれば、20分も待つことができたのです。ミシェルにとって、この発見は、長期的な相関関係よりも重大であると考えます。なぜなら、そこから自制能力を高め、ストレスを減らすことの出来る戦略の手がかりが得られるからだと考えます。そして、過去数十年間に認知神経科学と脳画像法が進歩したおかげで、欲求充足を先延ばしにする能力の根底にある脳のメカニズムを垣間見ることが可能になったのです。衝動をコントロールする必要性が最も高いときに、私たちの思考がどのように脳を「冷却」できるかが、今わかり始めてきたようです。
 ここで、ミシェルは人類の誕生から考えています。昔々、一部の推定によればおよそ180万年前に、私たちの進化上の祖先は、大型類人猿の生息地域である川沿いの森林地帯の木々を離れ始めます。彼らは、ホモ・エレクトスへと進化し、草原地帯を二足歩行でうろつき、苦労しながら暮らし、子孫を残しました。この有史以前の冒険時代に、人類が生き延びて繁殖できたのはおそらく、脳のホットな情動システムである、大脳辺縁系のおかげなのです。
 大脳辺縁系は、皮質の内側、脳幹の上に位置するいくつかの原始的な脳の構造からなり、私たちの進化の初期に発達します。これらの構造は、恐れや怒りから食欲や性欲まで、生存に不可欠な基本的動因や、情動を調整します。このシステムは、私たちの祖先が、食料であるとともに日常的に直面する致命的な危険のもとでもあるハイエナやライオンなどの野生動物に対処するのを助けます。大脳辺縁系の中でも、アーモンド形の小さな構造である扁桃体は、特に重要です。扁桃体は、恐れの反応と、性欲や食欲に関わる行動に関して、主要な役割を果たします。扁桃体は体に、行動のための準備態勢をただちにとらせます。いったん、立ち止まって長期的な結果についてじっくり考えたり心配したりしません。
 私たちの大脳辺縁系は依然として、進化上の祖先の大脳辺縁系とほとんど同じように機能します。今でも、情動的なホットな「ゴー!」システムのままで、快感や苦痛、恐れといった情動を自動的に引き起こす強力な刺激に対する、素早い反応を専門としています。生まれたときにすでに完全に機能するので、赤ん坊はおなかがすいたり、痛みを感じたりすると泣くのです。今日では、大きくなってから恐ろしいライオンに対処するために必要とすることは稀ですが、暗い路地で見知らぬ恐ろしげな人を避けたり、凍り付いた道路ではスリップする自動車をよけたりするのには、今でも実に貴重な機能です。このホットシステムは、人の営みに情動的な熱意を与えます。マシュマロ2個欲しがるように、未就学児を動機づけるのですが、我慢して待つのを難しくもします。そして、この機能をより強く持っているのは、まだ自分でいろいろなことをすることができない赤ちゃんこそ備えていると考えられる力です。赤ちゃんは、常にホットな存在ではないでしょうか?
 意欲的に行動するこの「ホットシステム」と寛恕湯をコントロールする「クールシステム」。この2つの力を上手に伸ばしながら、子ども達の「意欲と気づき」を見守っていきたいと思います。

2017 年 6 月 30 日 金曜日

    最近、2歳児の子ども達の育ちがすごいなと思う場面をよく目にします。あひる組にいた頃は、まだまだ、甘えてしまい、「やって」と先生に何でもやってもらう姿をよく見かけたのですが、最近では、「○○ちゃん上手だね」や「○○できたね」等の先生の言葉かけもあって、どの子も自ら挑戦しようとする姿が目立ってきました。
2歳児は、見方によっては「イヤイヤ期」と言われるほど、大人のいうことは聞かずに何でも自分でもやってしまいますが、自らやりたいという思いを共感しながら一緒にやってあげると、次から次へと自分でやるようになります。しかし、うまくタイミングが合わなかったり、十分成長していないと、思いと発達がアンバランスなので、上手に出来ず、子どもも満足できません。
     先日、給食の準備をしている時間に、4月から入園したA君がフラフラお部屋を歩き回っていました。先生が何度か声をかけてはいるのですが、なんとか1人で解決したいようで、いっこうにフラフラしています。そんな時です、BちゃんがA君の側によって行き、「エプロン付けてここのお席に座るんだよ」っと一言、その声に何のためらいもなく、言われるままにエプロンをつけて席に着きました。どうも、自分の座る場所がわからなかったようでした。もし先生に聞いていればもっと早く解決したかもしれませんでした。
    時として大人の声は子どもにとっては受け入れたくない時もあり、子ども同士のやり取りとなると、特別な関わりに変わります。きっと子ども同士の方が上手く行く時もよくあります。月齢の低いA君はまだ上手にお話しが出来ません。また、4月からの入園でもあるので先生との関係も十分ではなかったかもしれません。こんな時こそ子ども同士の関わりは大切ですね。イヤイヤ期の子どもでも、自らやりたいと思う環境をこれからもつくっていきたいです。

(おたよりの続き)
     以前、園長日記で書いた「マシュマロ実験」で、うまく先延ばしが出来る子どもは、魅力的なお菓子とベルから戦略的に気をそらす方法を思いつきました。それは、彼らが、様々な方法を使って自らを冷却することに成功したのです。彼らは、また、誘惑するもののクールで抽象的で、情報を提供してくれる側面に意識を集中し、想像力を働かせ、ホットな特徴を避けたり、変えたりして冷却しました。お菓子を手に入れるために待つのに、彼らが使った多種多様な認知的スキルは、ずっと後年、友だちと映画に出かける代わりにハイスクールの試験のために勉強したり、人生で彼らを待ち受けるほかの無数の待ったなしの誘惑に逆らったりするのに必要とされるスキルのプロトタイプであるとミシェルは考えています。
    ここで、私は少し疑問を持ちます。多分それは、ミシェルによって、考察を進める中で解明されることでしょうが、現時点ではその説明に、実際の子どもたちを見ていて「そうかな?」と思うところがあります。それは、ホットな情動をクールにする方法として、気をそらすことが中心に語られていますが、コメントにもありましたが、私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。遊びに集中して、なかなかそれを切り上げることが出来ない1歳児に、ある保育者が他児を呼びに行かせたのです。すると、いくら大人が指示してもきかなかった子が、同じ年齢の子が誘うと、いとも簡単に切り上げ、自ら次の行動に移っていったのです。その行為は、協力を基盤として進化してきた人類において、仲間の誘いに対して、社会規範を守ろうとする力が働いた気がします。
    もし、マシュマロ実験の時に、部屋に同年齢の複数の子どもたちを残して立ち去ったときに、どのように子ども同士が影響し合って欲求を先延ばすかを知りたい気がします。また、もし、異年齢の子どもたちが部屋にいたときには、どのような行動を起こすかを知りたい気もします。これは、園で実験が出来るかもしれませんね。もしかしたら、友だちの存在が、気をそらす対象になるのかもしれませんし、励まし合うのかもしれませんし、競い合うこともあるかもしれません。一人の子どもの観察から得る結果よりも、より複雑な条件が絡み合うことでしょう。しかし、現実の社会では、きっとその方が多くの場面で起きることのような気がするのです。
    ミシェルの考察に戻ってみます。彼は、年齢は多きに関係があると言います。4歳未満の子どもの大半は、マシュマロ実験で欲求充足を先延ばしにし続けられないと言います。誘惑に直面すると、たいてい30秒以内にベルを鳴らしたり、お菓子をかじり始めたりします。それは、クールシステムが、まだ十分発達しないからだと彼は考えています。彼らにとって、殺風景な小部屋でクッキーとベルに向かい合って座っているのには、恐ろしく長い時間なのです。
 また、性別も関係しているとしています。男の子と女の子とは、それぞれ成長の異なる段階で、異なる木の実を発達させますし、手に入る報酬にも持つ意欲が左右されると考えています。男の子にとって、待つ甲斐のある報酬も、女の子にとっては望ましくないかもしれません。その逆があるかもしれません、しかし、どちらにとっても同じ価値を持つものに対しても男女の差が出たようです。
 どちらにしても、保育園では個人差はあっても、「待つこと」「我慢すること」の力は確実についていきます。それはやはり、集団での育ちが大きく影響しているのだろうと思っています。