園長日記

2018 年 1 月 13 日 土曜日

 前回、「あらかじめシナプスを多めに用意しておき、不要になった段階で適当に刈り込み、回路を円滑に運営するというシステムは、人間の脳の発達にとって好ましいことだ」と話した内容に対して、早期教育肯定派の人は、この「シナプスの数が最大になる乳幼児期に、子どもの能力を伸ばすために多くの刺激を与えることが豊かな育児環境である」と唱えるようになりました。ところが、最近になって、あまりにいろいろな刺激を与えることが疑問視されはじめてきているそうです。刺激が強すぎることによって、本来バランスよく行なわれるはずのシナプスの刈り込みに支障をきたし、子どもの脳に悪い結果をもたらすのではないかという懸念が、専門家の間で広がっているというのです。
 たとえば、注意欠陥多動性障害(ADHD)を例に考えています。ADHDは、年齢にそぐわない注意力の欠如、集中困難、多動、落ち着きのなさ、衝動性がみられる障害で、前頭葉の動きの低下が原因で起こるのではないかと考えられています。ADHDの原因の一つが、シナプスの刈り込みがうまくいかないことにあるのではないかという研究もあるそうです。 「無駄なシナプスをバランスよく削りながら成長する脳」というコンセプトは、何でもかんでも刺激すればするほど成長する、という従来の考え方に警鐘を鳴らすように思えると、小西氏は考えているようです。
 英語教育や○○式といったメソッドもとても流行っていますが、赤ちゃんにとって本当に良いこととはなんでしょうか?多くの情報から正しいものを選び出すことができるのは親だけです。もし、新しいことを始めようと思った時には、一旦立ち止まって考えてみてほしいと思います。

2018 年 1 月 1 日 月曜日

 あけましておめでとうございます。今年も、皆さんの子育てが楽しく行え、子ども達が元気に成育しますことを祈念して、このブログを書いていこうと思っています。
 近年、少子化、核家族化の弊害として出てきている問題として、「過干渉」の問題があります。これは昔から言われる「甘やかしすぎたらダメだよ」と同じ意味だと思われる人もいるかと思いますが、実はもっと深刻な問題が含まれています。それは、脳の神経細胞と深い関係があります。
 昔は脳や神経細胞は、生まれてから徐々に大きくなり、大人になるにつれて色々なものを覚えていくとされていました。しかし、最近の脳科学や神経科学の研究では、生後、数ヶ月後に神経細胞は最大になり、年を重ねていくごとに、それら多くの細胞は淘汰され、少なくなっていくと言われているのです。
 つまり、「過干渉」により、それら多くの細胞は必要ないものとみなされなくなってしまう可能性があるというのです。また、無理な関わりによっても、健全な発育にはつながらないとも言われています。赤ちゃんに対する親の希望や想いは大切ですが、赤ちゃん本人の将来のことを考えると、丁寧な関わりと同時に、赤ちゃん本人が自ら育とうとする力を信じて、その行動を暖かく見守っていくことがとても必要なようですね。 

(おたよりの続き)
 20世紀後半に発見された神経科学の二つの重要な所見があります。それは、「神経細胞の自然な細胞死」と「シナプスの過形成と刈り込み」です。その所見をもとに、ダーウィニズムは、遺伝子によって作られた粗い神経組織が、第一段階で、遺伝子によって神経細胞の細胞死は決まり、第2段階で、シナプスの刈り込みは、学習という過程によってより頻繁に使う回路は残され、そうでない回路は淘汰されるということを提唱しました。これは、使わないと回路が消失するということとは決定的に違うと小西氏は言います。常に選択という過程があり、どちらを選んで消したり、逆にさらに強化する過程が発達そのものだというのです。そのことは、あくまでも自発的な行動でなければならないということ、自分の意志によって行なわれる活動こそが学習であるということなのでしょう。
 このように、あらかじめシナプスを多めに用意しておき、不要になった段階で適当に刈り込み、回路を円滑に運営するというシステムは、人間の脳の発達にとって好ましいことだというのです。

 早期教育の落とし穴について1月15日ごろ載せます。

2017 年 12 月 15 日 金曜日

 ピアジェが、「赤ちゃんにおける原始反射を用いて、周囲とのやり取りを繰り返すことによって、次第に自分の意志で動かす運動である随意運動が発言する」と主張したことに対して、プレヒテルは、「赤ちゃんの運動は、自発的な運動が主であり、原始反射はそれに含まれているだけである」ということを主張しました。このことは、育児にも大きく関わることであると小西氏は言います。赤ちゃんは外からの刺激によって初めて動くのだということは、赤ちゃんを育てるには外からの関わりがなければならないという考え方にもつながりますが、自発運動説では、赤ちゃんは自ら動き、自ら育つのであるという考え方になり、育児観を大きく変えることになります。つまり、赤ちゃんは自ら動くことによって、他者や周囲の環境を認知するということになります。
 そのために我々保育園は、子どもの自発性を保障し、自発的に関わることのできる環境を用意しなければならないということなのです。しかし、それは、この説が打ち出されたからではなく、私たち保育の現場で、毎日子どもの行動を観察することからわかってくることなので、それをこの説が裏付けたということなのです。
 二つ目の新しい子ども観は、「バランスよく削りながら成長する」ということです。このことも何回かこのブログで紹介してきました。今まで、発達神経学では、新生児は、脊髄や延髄レベルの機能、それを原始反射と呼ぶのですが、その機能によって行動している脊椎動物であるとされてきました。そこでは、神経系の成熟と子どもの行動は1対1で対応していると考えられています。やがて大脳皮質の機能によって原始反射が抑制され、消失するようになると、中脳の成熟と関係している「立ちなおり反射」といわれる運動が出始めます。つまり、お座りや寝返りができるようになるのは、そうした脳の発達によるものであるとされてきました。さらに成熟が大脳皮質にまで及ぶと、つかまり立ちや独り歩きなどの行動ができるようになると考えられていました。
 しかし、原始歩行が消失した乳児をベルトコンベアーに乗せたり、あるいはプールの中に入れると消失した原始歩行が再び出現することが発見されました。それは、行動パターンの変化と神経系の成熟過程が1対1に対応しないことが明らかになったのです。既存の神経学では、この現象は説明することができなくなったのです。そこで、こうした既存の神経学に代わるものとして、脳、身体、環境などとの相互作用を包括的に扱う枠組みを系全体の自己組織性という観点から考えるダイナミックシステムアプローチが提唱されたのです。つまり、環境が行動を変え、それによって脳そのものも変化し、それによってまた行動が変わり、環境もまた変わるという相互的な自己組織化のシステムなのです。
 「環境」と一言で言うと簡単なようですが、ここで言う「環境」とは、将来必要となる、確実に持っていなくてはいけない能力が自発的に育つ「環境」であることから、とても重要であり、難しい内容が含まれていると言うことです。安易に「こういう子に育てたい」とは言えないほど、しっかりと精査した「環境」を用意してあげなくてはいけないのです。ちなみに、木月保育園の考える将来必要となる、確実に持っていなくてはいけない能力とは、自分で考えて行動できる能力と人と関わる能力だと思っています。

2017 年 11 月 30 日 木曜日

 先日、自分の娘に勉強を教えていた時に、気になる項目を見つけました。それは私が小学生の時に習った日本史の内容が、その当時と変わっていたことです。それはあちらこちらに見受けられ、必死に覚えた年号や名称等が変わっているのに驚かされました。
 このようなことは、保育の歴史においても同じように変わってきているようです。「日進月歩」という言葉もありますが、保育の現場においては、脳科学や発達心理学、赤ちゃん学といった色々な研究が進む中で、新たなものが研究発見され、変わってきているのです。
 おんぶ紐一つ取っても、前向きのものやうしろ向きのもの、昔ながらのおんぶタイプと色々出ていますが、今後も研究により新たなものが出てくるのでしょう。
 そのような中で、我々は何を大切にしていけば良いのでしょうか。新たに変えるということはとても勇気のいることですし、変えたことにより失敗するというリスクも伴いますので、中々変えないという保育園は多いと思います。しかし、私は「温故知新」という言葉はとても重要な意味を含んでいると思っています。つまり、古くても大切なものは決して変えず、しかし、最新の研究により、間違っていると分かったものは変えていくべきだと思っています。
 そのような意味でも、今後も学んでいく姿勢を忘れずに、子どもたちの育ちを応援していきたいと思っています。
 
(おたよりの続き)
 赤ちゃんの研究は、日々新しい知見を提供してくれます。同時に、過去からの通念を覆すような見解も発表されています。ここ何年かで、今までの赤ちゃん観がずいぶんと変わってきています。その主なものが、「赤ちゃん学を学ぶ人のために」(小西行郎、遠藤利彦編)に整理し列挙されています。
 まず、「赤ちゃんは自発的に動く」ということです。20世紀に行なわれた研究では、「赤ちゃんは、外から受けた刺激や学習によって成熟する」という考えが長らく主流でした。それは、「刺激→反応」という構図をベースに成り立っていると解釈されてきたのです。当然、赤ちゃんに刺激を与えると、赤ちゃんは反応を示し、学習します。ですから、「赤ちゃんは白紙のキャンバスだ。刺激を与えればどんどん吸収する」と誰もが考えたのだと言います。
 ちなみに、「原始歩行」ということは多くの人の知るところとなりました。その後、新生児から真似をするという「新生児模倣」。最近では、「生理的微笑」という、新生児期に赤ちゃんが自発的に笑っているということが知られてきました。それが、さらに超音波によって、胎児が笑っているような表情が見られることが明らかになっているそうです。それは、生まれてきたときに親に愛情を喚起するための方法を、準備している証拠ではないかと言われています。
 それ以外にも、新生児は甘い、苦い、酸っぱい味を区別することができ、味に合わせて大人と同じような表情をするとも言われています。こうしたさまざまな表情の多くは、胎児期にすでに準備されているということなのかもしれないと小西氏は言います。さらに、胎児の眼球や口唇の動きを観察することで、胎児の睡眠についての研究も可能となったそうです。レム睡眠とノンレム睡眠が胎児期にすでにあることも確認されているそうです。視聴覚、味覚あるいは触覚が胎児期にすでに機能していることはもはや常識となっており、胎児顔との弁別や母親の声を学習していることなどもわかりつつあるそうです。
 現在では、赤ちゃんは、「白紙状態で生まれる」わけでは無いことがわかってきたと言えるのです。
 しかし、ずいぶん前までは、生まれたての赤ちゃんは、原始歩行や新生児模倣のような「原始反射」と呼ばれるような刺激に対して反射をします。この反射とは、人間や動物が刺激に対して神経系のみを介して行なう、意志が介在しない反応のことです。すなわち、行動に「心情、意欲、態度」を根拠にしていないのです。ピアジェは、このような赤ちゃんにおける原始反射を用いて、周囲とのやり取りを繰り返すことによって、次第に自分の意志で動かす運動である随意運動が発言すると主張しました。
 その考え方に対して、原始反射そのものに対する新しい見解をプレヒテルが打ち出したのです。

プレヒテルの考えについて12月15日ごろ載せます。

2017 年 11 月 11 日 土曜日

 韓国にある、延世大学校医科大学小児精神科教授であり、新村セブランス病院小児精神科の医師でもある申宜真が、ずいぶんと昔になりますが、2004年に「かしこい親の子育て術“ゆっくり子育て”はこんなにすごい」(小学館)という本を日本で発刊しました。この本の内容は、教育熱、早期教育に走る韓国の親たちに警鐘をならしたものとして、韓国・中国で30 万部のベストセラーになりました。
 申宜真教授の著書は、小児精神科の専門医としての立場からではなく、二人の子どもを育てている親として執筆されました。そこには子どもを育てる際に、物質的な保障や子どもへの無条件の愛に固執する韓国社会にある独特の雰囲気を想定しつつ、「子どもをどれだけ愛しているかではなく、どのように愛しているか」が重要であると説いています。
 韓国人の特性の一つに「せっかち」とか「性急」があると言われていますが、この特性は、育児にも表れます。そこで、申宜真教授は「ゆっくり育てる」という提案をします。それは、子どもを放任するということではなく、過度に発達の先取りをするという雰囲気に惑わされることなく、子どもの成長段階、発達段階に会わせた育て方をしようと呼びかけたものです。そのために、子どもの発達段階に即した思考力が育っているがどうかが最重要であるとして、「one step behind」と「one step ahead」の子育て戦略を提唱しているのです。「one step behind」とは、「一呼吸おいてから対応する方法」で、「子どものなすがままを見守り、何かに好奇心を示したときに親がそっと後押しすればよい」という考えです。
 一方、「one step ahead」とは、子どもの気持ちを先回りして理解、共感することです。この「one step behind」という考え方は、昔からある日本の言葉の「見守る」に通じるものがあります。その考え方は、日本の近代以前の時期の子育ての特徴であり、柳田國男のいう「児やらい(コヤライ)」の思想と同じであると言われています。それは、「突き放すのではなく、一歩後ろから見守りながら、子どもの自然な性向に従って発達を促す、子ども主導とおとな援助の姿勢を示す教育方法である」と説明されているようです。
 どんなに時代が変わっても、変えてはいけないものがあるのですね。一歩下がり、我が子の姿をしっかりと見守っていきたいですね。

2017 年 10 月 31 日 火曜日

 近年、世界中で、教育の改革がされるようになってきて、ずっと教育を変えようとしなかった日本でも、とうとう教育改革が行われることになりました。
 最近話題になっている「アクティブラーニング」という言葉はご存知でしょうか?これは、先生からの一方的な授業を聞く事とは対照的に、生徒たちが主体となり、仲間と深く考えながら課題を解決する力を養うのが目的で、その力を養うために討議やグループワークを行う授業のことを言います。 
 2020年から大学センター試験も新しくなるというのも、ここからきています。教育の改革を速やかに進めるために、まず大学を変え、その大学へ進学するために、高校、中学、小学校、そして、幼稚園や保育園にも影響を及ぼすことになるでしょう。あと数年でこれほどの変化が起きようとしています。
 なぜ、このような改革するのでしょうか?IT技術の進化によって「知識=情報」は瞬時に得られる世界となりました。それまでは、知識をたくさん獲得していることが頭がいいとされていました。しかし、今はインターネットをはじめ、誰でも容易に知識を得られる時代です。したがって今後は、知識を取捨選択できる判断力が求められることになります。加えて、その知識を使ってどう考えるのか、どのように新しいことを生み出すのかといった思考力や創造力も求められる社会になるでしょう。先行き不透明な時代のなか、新しい価値観が生まれてくる未来において、柔軟に変化に対応していく能力を持つ人材を育てる必要があるとして、政府は教育改革を推進しているのです。
 木月保育園で行っている、これらのことを、多くの保育園や学校では、まったく行っていません。株式会社の経営する園では、早期教育をうたい文句に経営を進めています。
 一方で、お隣の韓国でも教育に対してとても力を入れています。
 子ども達にとって、何が必要で、何を選んでいくのか?今、保護者の皆様に問われている問題です。

(おたよりの続き)
 お隣の韓国では教育に対して近年とても力を入れています。教育の質を問われた時に、質の評価はなかなか難しいものがあります。例えば、「卒園児の何人が有名小学校に入学した」といった塾にあるような指標があるといいのですが、幼児教育の目的はそれではありません。では、卒園児は世の中に出てこんな活躍をしているとか、成人して有名人になったとか、何人、大学教授になったかということも判断基準にはなりません。それは、必ずしも幸せな人生を送る要素ではありませんし、そうなることが偉いわけでもないからです。
 また、早期教育を熱心にしているとか、皆、すでに小学校の教科を修得しているということも短期的には意味があるかもしれませんが、長期的に見ると、それはあまり意味がないだけではなく、かえって小学校に行ってから学業成績が下がってしまうことも分かっています。
 そのような中、韓国では、各国の保育を参考にし、それぞれのいいところを取り入れて、韓国独自のカリキュラムであるヌリ課程という、日本の幼稚園教育要領や保育所保育指針のようなものを作成し、それに沿って保育をすることで、ある質を担保していることがわかったのです。
 今日、韓国では日本の大学入試センター試験にあたる大学修学能力試験が行われる時には、警察官が遅刻しそうな受験生を会場まで送り届けたり、航空機の運航が制限されたりするなど、国を挙げた支援が展開されている姿が毎年ニュースで取り上げられています。このような国を挙げての支援は、なんだかふしぎな気がします。韓国社会は日本以上少子化が進んでいます。それは、この受験のように激しい競争の中で、「少なく生んで、上手に育てる」という考えが広がっているからです。しかし、その「上手に」が問題です。多くは、「自分の子どもを誰よりも賢く育てたい」という親たちの熱望であり、そのために、英語学習、中国語学習や過度の商業主義による様々な早期教育が行なわれています。幼児施設において、質が高いと言われている園では、このようなことには振り回されず、国が決めた標準教育課程とヌリ課程に沿って保育をしていますが、多くの園では詰め込みが激しいようです。
 そんな中で、2004年に「かしこい親の子育て術“ゆっくり子育て”はこんなにすごい」(小学館)という本を日本で発刊した、申宜真教授の著書は、小児精神科の専門医としての立場からではなく、二人の子どもを育てている親として執筆されました。実際、この本に書かれているのはいったいどのような内容なのでしょうか?

 

11月15日ごろ韓国の最新の子育てについて載せます

2017 年 10 月 15 日 日曜日

 1970年代に心理学者のウィリアム・デーモンによって行なわれた子どもたちの平等に対する意識は、小学生だけではなく、もっと幼い子どもにも見られたことが、やはり心理学者であるクリスティーナ・オルソンとエリザベス・スペルキの調査でわかりました。
 彼女らは、3歳児に、ある人形が、他の二体の人形にステッカーやチョコレートなどを配るのを手伝ってもらいました。主人公の人形と二体の人形の関係にはいくつかのパターンがあったそうです。たとえば、あるときは主人公の人形のきょうだいと友だちだった時、またあるときはきょうだいと他人だったり、友だちと他人だったりしました。オルソンとスペルキは、ステッカーやチョコレートが偶数個だった場合、主人公と二体の人形の関係にかかわらず、3歳児はほぼ例外なく、主人公の人形に、同じ個数ずつそれらを分配させようとすることを発見したのです。
 このような平等バイアスが子どもには強いということの事例が、さまざまな年齢、さまざまな場面で見られることがわかったのです。たとえば、オルソンとアレックス・ショーは、6歳から8歳の子どもたちに、「マーク」と「ダン」の話をします。2人は自分たちの部屋を掃除して、ご褒美に消しゴムをもらいます。「消しゴムを何個ずつあげたらいいのかしら。手伝ってくれる?ありがとう。それじゃ、マークとダンにいくつ消しゴムをあげるか決めてね。ここに消しゴムが5つあります。一つはマーク、一つはダンに、一つはマーク、一つはダンに。あれ!1個余っちゃったぞ」
 研究者たちが、余った消しゴムを「ダンにあげたらいい?捨てちゃったほうがいい?」と尋ねると、子どもたちは、ほぼかならず、捨てたほうがいいと言ったそうです。研究者たちが、マークもダンも消しゴムが余計にあることは知らないのです。ですから、どちらかに1個余計にあげても、1人がほくそ笑んだり、うらやんだりすることはないと強調しても、結果は変わらなかったそうです。この実験でも、子どもたちは平等を強く欲し、平等の実現のためには何かを犠牲にすることもいとわなかったのです。
 これと同じ状況の時に、大人だったらどうでしょうか?100ドル札が5枚あるとして、それを二つの封筒に入れて、それぞれ違う人に送るとします。平等に分ける手立てはありません。しかし、だからといって、5枚目のお札を現実にシュレッダーにかけるでしょうか?と、ブルームは問いかけています。ショーとオルソンの研究に登場する子どもたちは、少々平等を気にしすぎていないだろうか?これほど平等に一途なのは、調査が家庭以外の場所で行なわれているせいではないだろうか?確かに、なにしろ、アメリカの心理学者が被験者としてどの子を選ぶかというと、選ぶ子どもたちの幼稚園や託児所は、常日頃から平等の規範を子どもたちの頭にたたき込む施設、すなわちどの子も一等賞で、全員が平均以上のコミュニティなのです。おそらくこういった経験は、なんらかの影響を与えてはいるでしょうが、近年の一連の研究で、平等バイアスは、学校や託児所が、子どもたちの選好を形作るずっと前に芽生えていることがわかっているそうです。
 最近の研究は、子どもたちにみられる行為の起源はいつなのだろうかということが多い気がします。そして、その結果、次第に早い時期から行なうということがわかってきています。
 早い時期からみられるということは、それらは決して学習で得られるものではなく、人類にとって遺伝子で受け継がれてきたものであるということであり、それは、人類の生存戦略の中で必要なものであり、生きていく上で必要な力であったのでしょう。
 平等バイアスが、幼児にもみられたということですが、心理学者であるアレッサンドラ・ゲラーチとルカ・スーリアンは、生後10ヶ月児と1歳4ヶ月児に、ライオンとクマが、ロバとウシに2枚のカラフルなディスクを配る人形劇を見せてみました。ライオンは、ロバとウシにディスクを1枚ずつ配ります。クマは、ディスクを2枚とも1匹の動物に与え、もう1匹には何も与えません。その後で、子どもたちにライオンとクマの人形を示し「どちらがいい子かな?いい子を教えて」と尋ねたところ、10ヶ月児の回答はバラバラだったそうですが、1歳4ヶ月児は公平な分配者を好んだそうです。それは、ライオンとクマを入れ替えてもやはり1枚ずつ配った方を選んだそうです。
 子どもの意志の表現を知ることはなかなか難しいものがあります。それは、小さい子どもはなかなか自ら表現しないので、わかりにくいからです。しかし、最近あかちゃん研究が進んだ理由に、視線や、そのものを長く見つめるかどうかで判断する方法を見つけたからということがありました。
 こんなに小さい頃から、何が平等なのか、等しく与えられていないということも知っているってすごいですね。大人が教えるよりもずっと前からこのようなことを分かっているとはびっくりです。改めて、子どもへの接し方は、子ども扱いするのではなく、一人の人間としての対応が必要ですね。

2017 年 9 月 29 日 金曜日

 木月保育園では保育方針に「仏教精神に基づく保育」を創立以来掲げています。仏教精神と言っても分かりづらいので、主に「平和」と「平等」を大切にしているとうたってます。
 「平和」とはみんなが仲良くするということで分かりやすいのですが、仏教でいう「平等」という考えは、一般的に知られている「平等」とは少し違っています。一般的に言う「平等」は一つの物を半分に同じ量に分けて等しく分配することを言います。しかし、仏教では体の大きい人と小さい人ではご飯を食べる量も違いますし、それぞれ好みや趣味も違います。その中で、みんな等しく分配するのではなく、一人一人に合ったものや量を与えるのです。つまり、与える側の「平等」ではなく、受け取る側の「平等」なのです。
 しかし、最近の研究では、このような木月保育園でいう「平等」ではなく、等しく分配するということをなんと赤ちゃんの頃から出来る力が備わっているというのです。赤ちゃんの力は本当にすごいですね。この研究結果を聞いて思い出すのは、どのクラスに行っても、例えば一人の子どもにジャンケンをすると、必ずと言っていいほど他の子どもも等しくやってもらうことを求めてきます。結果、その周りにいる子ども全てとジャンケンをすることになります。「私も、私も」と言ってくる中には、きっと、みんな等しくという「平等」の考えが入っているのからなのかなと思いました。
 今後もみんな等しく、しかも一人一人に合った「平等」な保育を提供していきたいと思います。

(おたよりの続き)
 アメリカ国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)による研究の沿革が書かれてあります。その中にある最近の赤ちゃん研究を見ていると、赤ちゃんは決して大人の未熟な存在ではなく、大人以上に能動的な存在であることが分っています。見られるよりも、自ら見ることを喜ぶ、教わるよりも教えようとする、笑いかけられてそれに反応するのではなく、子どものほうから笑いかけている、などが分っています。
 もう一つ、現場で実際に子どもを見ていると思うことがあります。それは、日本における教育基本法の中にある教育の目的に、「民主的な社会の形成者としての資質を備える」ということがありますが、赤ちゃんは元々民主的な生き物であるということを感じることがあります。人類は、生まれながら協力をするという遺伝子を基盤として生まれることが分かっています。また、人にものを分け合おうとします。その行為の中には、相手の権力、地位、そんなことは関係ありません。どちらかというと、人格重視です。そして、赤ちゃんだけに限らず、子どもの意識の中には、多数決という多い人数が少数意見を押しやるという考え方はないようです。少数意見を大切にしてあげることを見ることがたびたびあります。同時に、公平であることを大切にすることを見ることもたびたびあります。自分だけで独占しようとせず、人にものを分け合おうとすると同様に、自分だけ何かをしてもらうことはせず、他の子にもしてあげることを要求することがあるのです。
 数年前に「ジャスト・ベイビー」を書いたポール・ブルームは、本書の中で、「平等な分配は、子どもたち全体の幸福を最大化する。1人に一個ずつおもちゃを与えれば、2人とも幸せ。不平等な分け方をすれば、何ももらえない子どもは、みじめ。その悲しみは、おもちゃを二つもらった子の余計分の喜びを上回る。だが、単刀直入に言おう。必要もないところに不平等を作り出すのは単純に間違っている。」
 大人にとって「平等」という感覚は、とても難しいものがあります。ただ、同じようにすることが平等であることにはならないことがあるからです。しかし、1970年代に、心理学者のウィリアム・デーモンは、子どもたちの公平に対する考え方を明らかにしました。この研究は、とても影響力のあるものでした。その研究方法は、子どもたちに面接を行ない、彼らの考え方を聞いてみたのです。すると、子どもたちは結果の平等を重視し、その他の留意事項は気に留めなかったことがわかったのです。7歳4ヶ月の子どもと、面接の中でこんな会話をしています。
 実験者:誰かが他の人より多くもらうほうがいいと思う?子ども:ううん。だって、それは公平じゃないわ。誰かが35ペンスもらって、誰かが1ペニーしかもらわない。それじゃ公平じゃない。実験者:クララは、自分は他の人より、たくさん物をつくったから、他の人よりお金をもらえるはずだと言ったよ。子ども:だめよ。それはおかしいわ。クララが人より多く、例えば1ドルとかお金をもらって、他の人が1セントしかもらえないのは公平じゃないもの。実験者:クララが、他の人より少しだけ多くもらうっていうのはどう?子ども:だめ。みんな同じお金をもらうべき。公平じゃないもの。
 このような平等へのバイアス(偏り)は、もっと幼い子どもにもみられるようです。

10月15日ごろ平等への偏りについて載せます。

2017 年 9 月 15 日 金曜日

 ミシェルは研究の中で三つのシナリオを考えました。「厳しい基準」のシナリオでは、モデルは自分自身に厳しくし、子どもにも同様に厳しくしました。彼女は、自分のスコアが20点という、とても高いときだけチップを取り、「これは良いスコアだわ。これなら、チップを一つもらってもいいわね」とか「このスコアは自慢できるわ。自分にご褒美をあげなくちゃ」というように、自分を褒める言葉を述べました。スコアが20点に満たない場合はいつも、チップをもらうのを控えて、「あまり良いスコアではないわね。これでは、チップはもらえないわ」というような自分への批判を口にしました。彼女は、子どもの成績もまったく同様に扱い、高いスコアの時には褒め、低いスコアの時には批判的でした。
 「モデルに厳しく、子どもに甘い」シナリオでは、モデルは自分自身には厳しいが、子どもには寛大で、子どもには、スコアが低くても自分にご褒美を与えるように仕向けました。「モデルに甘く、子どもに厳しい」シナリオでは、女性は自分自身には寛大で、子どもには最高点の時だけ自分にご褒美を与えさせる厳しい基準を置きました。
 これらの条件下で行なわれた実験のどれかに子どもたちを参加させたあと、チップを自由に取れる状態にして置くという条件は変えずに事後テストを行ない、子ども一人だけでプレイしたときの、自発的な自己報酬の行動をこっそりミシェルは観察しました。自分にも子どもにも厳しかったモデルから学んだ子どもは、最も厳しい基準を採用しました。この条件では、モデルは子どもが最高のスコアの時だけ自分にご褒美を与えるように促し、同じ基準を自分自身にも課しました。モデルが自分に採用した基準と、子どもに強いた基準に一貫性がある場合、基準が厳しく、ご褒美は望ましいものだったにもかかわらずモデルが不在でも子どもたちは一度として逸脱せずに、その基準を採用しました。モデルが絶大な力を持ち、とても望ましいご褒美や報酬を管理していると子どもが思っているときにはとくにこの結果がはっきりと出ることも、この研究から明らかになったそうです。
 自分に甘くするよう促された子どもたちは、モデルが自分自身に厳しかったのを見ていても、事後テストで子どもだけになったとき、自分に甘かったそうです。ゲーム中、自分自身には甘いのに、厳しい自己報酬の基準を押しつけてくるモデルから学んだ子どものグループでは、半数が教えられた厳しい基準を守り続け、残る半数は、モデルが自分自身に採用しているのを見た甘い基準を使ったそうです。
 自分の子どもにも厳しい自己報酬の基準を採用させたいのなら、この基準を採用するように子どもを導くのと同時に、自分の行動でもその基準を手本にするのがいいことが、この研究から窺われるとミシェルは言っています。大人に一貫性がなく、子どもに厳しいのに自分には甘い場合、子どもは押しつけられた基準ではなく、大人が採用していた自己報酬の基準を使う可能性が高いという結果が出たのです。
 この研究はとても興味深いですね。また、保護者に対してや保育において参考になります。子どもに厳しい基準を自ら課すことをさせたいのなら、きつく言うとか、強要させるよりも、自分の行動でもその基準を手本にすることが必要だというのです。自分だけ甘くして、子どもに厳しくても、決して子どもには伝わらないのです。まず、我が身からですね。

2017 年 8 月 31 日 木曜日

 保育園にはたくさんの先生がいますが、多くの子どもは、先生から多大な影響を受けます。例えば0歳児の頃から「模倣」と言って人の行動を真似るということをする様になります。すると、そのことを意識して先生も手遊びなどをしながら、少しずつ真似てもらうようにします。そして、その「模倣」が様々な行動のきっかけとなり、日々の成長へとつながっていきます。その事は家庭でも同じです。両親の行動をよく見て真似をして、少しずつ成長していくのです。
しかし、この「模倣」は必ずしも良いことだけを真似るというものではありません。厄介なことに、悪いところも真似てしまうのです。なので、例えば箸を上手に使えない子どもの両親を見てみると、ほとんどの場合、両親のどちらかは箸を上手に使うことが出来ません。いつの間にか「模倣」を行い、気付かぬうちに真似をしているのです。
更にもっと恐ろしいのは、この「模倣」は運動面だけのことではありません。日々の生活や態度、性格まで真似てしまうのです。しかも「三つ子の魂百まで」のことわざのように、小さなうちから良い面、悪い面両方をコピーしてしまうのです。
そう考えると、社会人の先輩としてわれわれ大人は、子ども達に見られているという事を常に意識して、どう振舞わなければいけないかを考えながら行動する責任があります。良き行いを自ら実践し、子どもの手本となるような大人が増えてくると良いですね。

(おたよりの続き)
子ども達は多くの場面で、我慢を強いられることがあります。例えば「このお菓子は今は食べちゃいけませんよ」と言われた時、大人も同じように我慢している場合と、横で大人だけはお菓子を食べている場合、子どもはどのような反応をするのでしょうか?きっと、日ごろから厳しく躾けられている家庭では、大人の言ったとおりにするかもしれませんが、そうでない場合は、「大人だけずるい」と言って、大人を真似てお菓子を食べ始めるのではないでしょうか。
 もちろん、上記には「子どもが食べられないものが入っている」や「今食べたらこの後の食事が食べられない」等、色々な条件があるかもしれませんが、それらの条件が一切なかった場合においてではやはり、大人の真似をしてお菓子を食べてしまうのではないでしょうか。
躾けに関しては、各家庭ごとに、それぞれ違います。そして、その根底には、両親がそれぞれ育った家庭の影響を多く受けているはずです。その暗黙のルールを元に、子どもへの躾がされているのです。
 ミシェルが、この分野で興味を持つようになったのは、彼の娘さんが小学校に入学して早々に、とても自慢の作品を家に持ち帰った時のことだそうです。それがきっかけとなり、幼いころから自分が成し遂げたことに対してどのように価値基準を設けるのか、そしてその基準を満たしたとき、どのように自分にご褒美を与えたり与えなかったりするのかを調べるために、一連の研究に取りかかったのです。
 そして、次のような疑問に取り組むことになったそうです。「こういったかたちの自己報酬や自己制御を導く社会化の経験や、暗黙のルールとは何だろう?」「子どもが“意志疲労”を起こして、自分はよくやったと喜び、少々自分を甘やかしてご褒美を上げる頃合いだと判断するのはいつだろう?」「もっと厳しい基準を満たすまで粘って、欲求充足を先延ばしにするのは、いつだろう?」「それとも、努力を続けること自体が喜びになるのだろうか?」
 モデルは、私たちがどんな人間になるかに多大な影響を与えるので、私たちが子ども時代から、自分自身を評価したり調整したりするために発達させる価値基準が、モデルによってどう導かれるのか、というようなことをミシェルは研究したくて仕方なかったそうです。大人のモデルの特徴や行動は、幼児が何を習得したり、真似たり、ほかの幼児に広めたりするかに影響を与えます。スタンフォード大学で、ミシェルは学生たちと、マシュマロ実験の研究と同時に、子どもがどうやって自己基準を獲得するのかを調べる実験を開始したそうです。この研究では、モデルの特性や自己報酬の行動に変化を持たせて、大人が部屋を出ていったとき、幼児たちが自分の基準に取り込んだものに大人がどんな影響を与えたかを調べたのです。
 調査は、大学のそばにある地元の複数の小学校から、4年生の少年少女を選び出して行なわれました。個別のセッションで、子どもを一人一人、モデル役となる若い女性に引き合わせ、女性は子どもに「一種のボウリング・ゲーム」を見せます。子どもたちがどれだけそのゲームを気に入るかを、おもちゃ会社が調べているということにして、調査をしたのです。
そのゲームとは、長さ1メートル弱のボウリング・レーンの小型模型で、1投ごとにスコアを示す電光表示板が先端についています。レーンの先のピンが置かれる場所は遮断されていて、プレイヤーにはボールがどのピンに当たったのかが見えないようになっているため、結果を知るには、電光表示されるスコアが頼りでした。このスコアはあらかじめ設定されており、実際の成績とは結びついていませんでしたが、プレイヤーが信じて疑わないようにうまくできていました。すぐ手の届くところには、大きな器があって、チップがたくさん入っており、子どもやモデルの女性が成績に応じて自分へのご褒美として使えるようになっていました。チップは、ゲーム終了時に価値ある賞品と引き換えることができ、多ければ多いほど良い賞品がもらえると子どもたちには伝えます。きれいに包装された賞品が、部屋のよく見えるところに置かれていましたが、それについて説明はしませんでした。
ゲームは、モデル役の女性と子どもが一度に一投ずつ交替でプレイしました。さまざまな子育てのスタイルをシミュレーションするために、モデルが自分の成績に対してどのように自分にご褒美を与えるのか、そしてまた、どうやって子どもに自分の成績を評価させたり、自分にご褒美を与えさせたりするのか、三つの異なるシナリオを考えておきます。どの子どもも、これらの条件のうち一つだけに参加しました。
どのような結果が出るか楽しみですね。

9月15日ごろその結果について載せます