園長日記

2017 年 10 月 31 日 火曜日

 近年、世界中で、教育の改革がされるようになってきて、ずっと教育を変えようとしなかった日本でも、とうとう教育改革が行われることになりました。
 最近話題になっている「アクティブラーニング」という言葉はご存知でしょうか?これは、先生からの一方的な授業を聞く事とは対照的に、生徒たちが主体となり、仲間と深く考えながら課題を解決する力を養うのが目的で、その力を養うために討議やグループワークを行う授業のことを言います。 
 2020年から大学センター試験も新しくなるというのも、ここからきています。教育の改革を速やかに進めるために、まず大学を変え、その大学へ進学するために、高校、中学、小学校、そして、幼稚園や保育園にも影響を及ぼすことになるでしょう。あと数年でこれほどの変化が起きようとしています。
 なぜ、このような改革するのでしょうか?IT技術の進化によって「知識=情報」は瞬時に得られる世界となりました。それまでは、知識をたくさん獲得していることが頭がいいとされていました。しかし、今はインターネットをはじめ、誰でも容易に知識を得られる時代です。したがって今後は、知識を取捨選択できる判断力が求められることになります。加えて、その知識を使ってどう考えるのか、どのように新しいことを生み出すのかといった思考力や創造力も求められる社会になるでしょう。先行き不透明な時代のなか、新しい価値観が生まれてくる未来において、柔軟に変化に対応していく能力を持つ人材を育てる必要があるとして、政府は教育改革を推進しているのです。
 木月保育園で行っている、これらのことを、多くの保育園や学校では、まったく行っていません。株式会社の経営する園では、早期教育をうたい文句に経営を進めています。
 一方で、お隣の韓国でも教育に対してとても力を入れています。
 子ども達にとって、何が必要で、何を選んでいくのか?今、保護者の皆様に問われている問題です。

(おたよりの続き)
 お隣の韓国では教育に対して近年とても力を入れています。教育の質を問われた時に、質の評価はなかなか難しいものがあります。例えば、「卒園児の何人が有名小学校に入学した」といった塾にあるような指標があるといいのですが、幼児教育の目的はそれではありません。では、卒園児は世の中に出てこんな活躍をしているとか、成人して有名人になったとか、何人、大学教授になったかということも判断基準にはなりません。それは、必ずしも幸せな人生を送る要素ではありませんし、そうなることが偉いわけでもないからです。
 また、早期教育を熱心にしているとか、皆、すでに小学校の教科を修得しているということも短期的には意味があるかもしれませんが、長期的に見ると、それはあまり意味がないだけではなく、かえって小学校に行ってから学業成績が下がってしまうことも分かっています。
 そのような中、韓国では、各国の保育を参考にし、それぞれのいいところを取り入れて、韓国独自のカリキュラムであるヌリ課程という、日本の幼稚園教育要領や保育所保育指針のようなものを作成し、それに沿って保育をすることで、ある質を担保していることがわかったのです。
 今日、韓国では日本の大学入試センター試験にあたる大学修学能力試験が行われる時には、警察官が遅刻しそうな受験生を会場まで送り届けたり、航空機の運航が制限されたりするなど、国を挙げた支援が展開されている姿が毎年ニュースで取り上げられています。このような国を挙げての支援は、なんだかふしぎな気がします。韓国社会は日本以上少子化が進んでいます。それは、この受験のように激しい競争の中で、「少なく生んで、上手に育てる」という考えが広がっているからです。しかし、その「上手に」が問題です。多くは、「自分の子どもを誰よりも賢く育てたい」という親たちの熱望であり、そのために、英語学習、中国語学習や過度の商業主義による様々な早期教育が行なわれています。幼児施設において、質が高いと言われている園では、このようなことには振り回されず、国が決めた標準教育課程とヌリ課程に沿って保育をしていますが、多くの園では詰め込みが激しいようです。
 そんな中で、2004年に「かしこい親の子育て術“ゆっくり子育て”はこんなにすごい」(小学館)という本を日本で発刊した、申宜真教授の著書は、小児精神科の専門医としての立場からではなく、二人の子どもを育てている親として執筆されました。実際、この本に書かれているのはいったいどのような内容なのでしょうか?

 

11月15日ごろ韓国の最新の子育てについて載せます

2017 年 10 月 15 日 日曜日

 1970年代に心理学者のウィリアム・デーモンによって行なわれた子どもたちの平等に対する意識は、小学生だけではなく、もっと幼い子どもにも見られたことが、やはり心理学者であるクリスティーナ・オルソンとエリザベス・スペルキの調査でわかりました。
 彼女らは、3歳児に、ある人形が、他の二体の人形にステッカーやチョコレートなどを配るのを手伝ってもらいました。主人公の人形と二体の人形の関係にはいくつかのパターンがあったそうです。たとえば、あるときは主人公の人形のきょうだいと友だちだった時、またあるときはきょうだいと他人だったり、友だちと他人だったりしました。オルソンとスペルキは、ステッカーやチョコレートが偶数個だった場合、主人公と二体の人形の関係にかかわらず、3歳児はほぼ例外なく、主人公の人形に、同じ個数ずつそれらを分配させようとすることを発見したのです。
 このような平等バイアスが子どもには強いということの事例が、さまざまな年齢、さまざまな場面で見られることがわかったのです。たとえば、オルソンとアレックス・ショーは、6歳から8歳の子どもたちに、「マーク」と「ダン」の話をします。2人は自分たちの部屋を掃除して、ご褒美に消しゴムをもらいます。「消しゴムを何個ずつあげたらいいのかしら。手伝ってくれる?ありがとう。それじゃ、マークとダンにいくつ消しゴムをあげるか決めてね。ここに消しゴムが5つあります。一つはマーク、一つはダンに、一つはマーク、一つはダンに。あれ!1個余っちゃったぞ」
 研究者たちが、余った消しゴムを「ダンにあげたらいい?捨てちゃったほうがいい?」と尋ねると、子どもたちは、ほぼかならず、捨てたほうがいいと言ったそうです。研究者たちが、マークもダンも消しゴムが余計にあることは知らないのです。ですから、どちらかに1個余計にあげても、1人がほくそ笑んだり、うらやんだりすることはないと強調しても、結果は変わらなかったそうです。この実験でも、子どもたちは平等を強く欲し、平等の実現のためには何かを犠牲にすることもいとわなかったのです。
 これと同じ状況の時に、大人だったらどうでしょうか?100ドル札が5枚あるとして、それを二つの封筒に入れて、それぞれ違う人に送るとします。平等に分ける手立てはありません。しかし、だからといって、5枚目のお札を現実にシュレッダーにかけるでしょうか?と、ブルームは問いかけています。ショーとオルソンの研究に登場する子どもたちは、少々平等を気にしすぎていないだろうか?これほど平等に一途なのは、調査が家庭以外の場所で行なわれているせいではないだろうか?確かに、なにしろ、アメリカの心理学者が被験者としてどの子を選ぶかというと、選ぶ子どもたちの幼稚園や託児所は、常日頃から平等の規範を子どもたちの頭にたたき込む施設、すなわちどの子も一等賞で、全員が平均以上のコミュニティなのです。おそらくこういった経験は、なんらかの影響を与えてはいるでしょうが、近年の一連の研究で、平等バイアスは、学校や託児所が、子どもたちの選好を形作るずっと前に芽生えていることがわかっているそうです。
 最近の研究は、子どもたちにみられる行為の起源はいつなのだろうかということが多い気がします。そして、その結果、次第に早い時期から行なうということがわかってきています。
 早い時期からみられるということは、それらは決して学習で得られるものではなく、人類にとって遺伝子で受け継がれてきたものであるということであり、それは、人類の生存戦略の中で必要なものであり、生きていく上で必要な力であったのでしょう。
 平等バイアスが、幼児にもみられたということですが、心理学者であるアレッサンドラ・ゲラーチとルカ・スーリアンは、生後10ヶ月児と1歳4ヶ月児に、ライオンとクマが、ロバとウシに2枚のカラフルなディスクを配る人形劇を見せてみました。ライオンは、ロバとウシにディスクを1枚ずつ配ります。クマは、ディスクを2枚とも1匹の動物に与え、もう1匹には何も与えません。その後で、子どもたちにライオンとクマの人形を示し「どちらがいい子かな?いい子を教えて」と尋ねたところ、10ヶ月児の回答はバラバラだったそうですが、1歳4ヶ月児は公平な分配者を好んだそうです。それは、ライオンとクマを入れ替えてもやはり1枚ずつ配った方を選んだそうです。
 子どもの意志の表現を知ることはなかなか難しいものがあります。それは、小さい子どもはなかなか自ら表現しないので、わかりにくいからです。しかし、最近あかちゃん研究が進んだ理由に、視線や、そのものを長く見つめるかどうかで判断する方法を見つけたからということがありました。
 こんなに小さい頃から、何が平等なのか、等しく与えられていないということも知っているってすごいですね。大人が教えるよりもずっと前からこのようなことを分かっているとはびっくりです。改めて、子どもへの接し方は、子ども扱いするのではなく、一人の人間としての対応が必要ですね。