園長日記

2017 年 9 月 29 日 金曜日

 木月保育園では保育方針に「仏教精神に基づく保育」を創立以来掲げています。仏教精神と言っても分かりづらいので、主に「平和」と「平等」を大切にしているとうたってます。
 「平和」とはみんなが仲良くするということで分かりやすいのですが、仏教でいう「平等」という考えは、一般的に知られている「平等」とは少し違っています。一般的に言う「平等」は一つの物を半分に同じ量に分けて等しく分配することを言います。しかし、仏教では体の大きい人と小さい人ではご飯を食べる量も違いますし、それぞれ好みや趣味も違います。その中で、みんな等しく分配するのではなく、一人一人に合ったものや量を与えるのです。つまり、与える側の「平等」ではなく、受け取る側の「平等」なのです。
 しかし、最近の研究では、このような木月保育園でいう「平等」ではなく、等しく分配するということをなんと赤ちゃんの頃から出来る力が備わっているというのです。赤ちゃんの力は本当にすごいですね。この研究結果を聞いて思い出すのは、どのクラスに行っても、例えば一人の子どもにジャンケンをすると、必ずと言っていいほど他の子どもも等しくやってもらうことを求めてきます。結果、その周りにいる子ども全てとジャンケンをすることになります。「私も、私も」と言ってくる中には、きっと、みんな等しくという「平等」の考えが入っているのからなのかなと思いました。
 今後もみんな等しく、しかも一人一人に合った「平等」な保育を提供していきたいと思います。

(おたよりの続き)
 アメリカ国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)による研究の沿革が書かれてあります。その中にある最近の赤ちゃん研究を見ていると、赤ちゃんは決して大人の未熟な存在ではなく、大人以上に能動的な存在であることが分っています。見られるよりも、自ら見ることを喜ぶ、教わるよりも教えようとする、笑いかけられてそれに反応するのではなく、子どものほうから笑いかけている、などが分っています。
 もう一つ、現場で実際に子どもを見ていると思うことがあります。それは、日本における教育基本法の中にある教育の目的に、「民主的な社会の形成者としての資質を備える」ということがありますが、赤ちゃんは元々民主的な生き物であるということを感じることがあります。人類は、生まれながら協力をするという遺伝子を基盤として生まれることが分かっています。また、人にものを分け合おうとします。その行為の中には、相手の権力、地位、そんなことは関係ありません。どちらかというと、人格重視です。そして、赤ちゃんだけに限らず、子どもの意識の中には、多数決という多い人数が少数意見を押しやるという考え方はないようです。少数意見を大切にしてあげることを見ることがたびたびあります。同時に、公平であることを大切にすることを見ることもたびたびあります。自分だけで独占しようとせず、人にものを分け合おうとすると同様に、自分だけ何かをしてもらうことはせず、他の子にもしてあげることを要求することがあるのです。
 数年前に「ジャスト・ベイビー」を書いたポール・ブルームは、本書の中で、「平等な分配は、子どもたち全体の幸福を最大化する。1人に一個ずつおもちゃを与えれば、2人とも幸せ。不平等な分け方をすれば、何ももらえない子どもは、みじめ。その悲しみは、おもちゃを二つもらった子の余計分の喜びを上回る。だが、単刀直入に言おう。必要もないところに不平等を作り出すのは単純に間違っている。」
 大人にとって「平等」という感覚は、とても難しいものがあります。ただ、同じようにすることが平等であることにはならないことがあるからです。しかし、1970年代に、心理学者のウィリアム・デーモンは、子どもたちの公平に対する考え方を明らかにしました。この研究は、とても影響力のあるものでした。その研究方法は、子どもたちに面接を行ない、彼らの考え方を聞いてみたのです。すると、子どもたちは結果の平等を重視し、その他の留意事項は気に留めなかったことがわかったのです。7歳4ヶ月の子どもと、面接の中でこんな会話をしています。
 実験者:誰かが他の人より多くもらうほうがいいと思う?子ども:ううん。だって、それは公平じゃないわ。誰かが35ペンスもらって、誰かが1ペニーしかもらわない。それじゃ公平じゃない。実験者:クララは、自分は他の人より、たくさん物をつくったから、他の人よりお金をもらえるはずだと言ったよ。子ども:だめよ。それはおかしいわ。クララが人より多く、例えば1ドルとかお金をもらって、他の人が1セントしかもらえないのは公平じゃないもの。実験者:クララが、他の人より少しだけ多くもらうっていうのはどう?子ども:だめ。みんな同じお金をもらうべき。公平じゃないもの。
 このような平等へのバイアス(偏り)は、もっと幼い子どもにもみられるようです。

10月15日ごろ平等への偏りについて載せます。

2017 年 9 月 15 日 金曜日

 ミシェルは研究の中で三つのシナリオを考えました。「厳しい基準」のシナリオでは、モデルは自分自身に厳しくし、子どもにも同様に厳しくしました。彼女は、自分のスコアが20点という、とても高いときだけチップを取り、「これは良いスコアだわ。これなら、チップを一つもらってもいいわね」とか「このスコアは自慢できるわ。自分にご褒美をあげなくちゃ」というように、自分を褒める言葉を述べました。スコアが20点に満たない場合はいつも、チップをもらうのを控えて、「あまり良いスコアではないわね。これでは、チップはもらえないわ」というような自分への批判を口にしました。彼女は、子どもの成績もまったく同様に扱い、高いスコアの時には褒め、低いスコアの時には批判的でした。
 「モデルに厳しく、子どもに甘い」シナリオでは、モデルは自分自身には厳しいが、子どもには寛大で、子どもには、スコアが低くても自分にご褒美を与えるように仕向けました。「モデルに甘く、子どもに厳しい」シナリオでは、女性は自分自身には寛大で、子どもには最高点の時だけ自分にご褒美を与えさせる厳しい基準を置きました。
 これらの条件下で行なわれた実験のどれかに子どもたちを参加させたあと、チップを自由に取れる状態にして置くという条件は変えずに事後テストを行ない、子ども一人だけでプレイしたときの、自発的な自己報酬の行動をこっそりミシェルは観察しました。自分にも子どもにも厳しかったモデルから学んだ子どもは、最も厳しい基準を採用しました。この条件では、モデルは子どもが最高のスコアの時だけ自分にご褒美を与えるように促し、同じ基準を自分自身にも課しました。モデルが自分に採用した基準と、子どもに強いた基準に一貫性がある場合、基準が厳しく、ご褒美は望ましいものだったにもかかわらずモデルが不在でも子どもたちは一度として逸脱せずに、その基準を採用しました。モデルが絶大な力を持ち、とても望ましいご褒美や報酬を管理していると子どもが思っているときにはとくにこの結果がはっきりと出ることも、この研究から明らかになったそうです。
 自分に甘くするよう促された子どもたちは、モデルが自分自身に厳しかったのを見ていても、事後テストで子どもだけになったとき、自分に甘かったそうです。ゲーム中、自分自身には甘いのに、厳しい自己報酬の基準を押しつけてくるモデルから学んだ子どものグループでは、半数が教えられた厳しい基準を守り続け、残る半数は、モデルが自分自身に採用しているのを見た甘い基準を使ったそうです。
 自分の子どもにも厳しい自己報酬の基準を採用させたいのなら、この基準を採用するように子どもを導くのと同時に、自分の行動でもその基準を手本にするのがいいことが、この研究から窺われるとミシェルは言っています。大人に一貫性がなく、子どもに厳しいのに自分には甘い場合、子どもは押しつけられた基準ではなく、大人が採用していた自己報酬の基準を使う可能性が高いという結果が出たのです。
 この研究はとても興味深いですね。また、保護者に対してや保育において参考になります。子どもに厳しい基準を自ら課すことをさせたいのなら、きつく言うとか、強要させるよりも、自分の行動でもその基準を手本にすることが必要だというのです。自分だけ甘くして、子どもに厳しくても、決して子どもには伝わらないのです。まず、我が身からですね。