園長日記

2016 年 10 月 28 日 金曜日

  今回は0歳児のクラスを覗いてみました。この日は天気が悪く、お部屋と廊下をすべて開放し自由に遊び回れるようにしていました。私がお部屋に入っていくと、見慣れない人が入ってきたので、数名の子ども達はキョトンとしながらも、私のほうをじっと見つめていました。そして、部屋に入るなり、積み木を手に取り遊ぶ様子を見せるようにしてみました。すると、視線は積み木に釘付けになりました。もっと興味を惹き付けようと積んでは壊し、積んでは壊しを続けて行っていました。Aちゃんを見てみると、Aちゃんが段々と積み木の近くに寄ってきて、積み木を手に取りました。ジロジロと見たり、時には振ったり(0歳児の積み木は振ると音がなるようになっている)し始めました。私も続けて積む壊すをしていると、今度は積み木を積み始めました。しまいには、積んで壊すを私と一緒にやりながら、笑顔で一緒に楽しみました。

 このようなやり取りをしていると、今度は、Bちゃんがやってきて、私とAちゃんの関わりをじっと見つめています。私はすかさず積み木を「はい」っと渡すと恐る恐るそれを取り、積み木をじっと見つめながら、やはりAちゃんと同じように振り始めました。そして、そのまま輪に入り、一緒に積み木を積んで壊す遊びを楽しみました。

 0歳児の発達では、今回のようなやり取りはとても大切で、大人とのこのようなやり取りから、少しずつ子ども同士のやり取りへと繋がっていきます。赤ちゃんだと思っていたのはいつの話だろうと思ってしまうほど、子ども達は日々成長しています。こんなにかわいい姿は今だけです。裏を返せば、今しかこのような関わりは出来ません。どうか短い時間でも、今の育ちを大切にしながらいっぱい関わりを持って行きましょう。

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(おたよりの続き)

 積み木を子どもに用意した時に、乳児はその形、素材を確かめるかのように「見つめ」「触り」「舐める」ことをします。そして、積み始めます。その後の行為は、保育園でなければなかなか見ることができないことをし始めます。それは、赤ちゃんは「積み木を見つめる」ということを、自分の目の前の積み木だけでなく、他の子が触れている積み木を見つめるのです。そして、それを触ろうとします。同じものが自分の目の前にあろうが、他人のものに触ろうとします。これは、大人になると、「隣の芝生は青い」と言われるようなことに近いように思いますが、どうも、社会を構成して生きていく私たちの遺伝子で、関わろうとする芽生えのような気がします。 また、その行動は、時として、あたかも人が遊んでいる積み木を奪うかのように見えます。しかし、奪うという意識はなく、まだ、自分のものと他人のものという区別がないだけで、それ以上にそのものへの好奇心がそのようにさせるのです。しかし、奪われた方は、せっかく自分が遊んでいるものを取られてしまうわけですから、きょとんとするか、泣いてしまいます。そんな時に大人は喧嘩しているとか、意地悪しているとか思ってしまうことがありますが、ただそのものに興味を持つだけです。しかしこのやり取りは、将来に役に立つ、非常に需要なことなのです。

将来必要な関わりについて11月15日頃載せます

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2016 年 10 月 15 日 土曜日

 前回載せた、子ども達の様々な思いというのは、個人差もありますが、年齢差もあります。それは、子どもの思いによって、そのおもちゃが可変していくものが良いおもちゃといえるかもしれません。その一つが、積み木なのです。積み木は、その子なりに、それぞれの年齢なりに出来上がる作品が違うのです。簡単なものから、複雑なものまでつくることができるのです。また出来上がる作品だけでなく、積み木は、舐めたい欲求、投げたい欲求、壊したい欲求までも満たすことができるのです。
 例えば、赤ちゃんがおもちゃで遊ぶのは、いくつか理由があります。その1つは、その時期の発達を促すために必要なことを行います。それは、逆に言えば、その時期における発達にあったことが面白く感じるのでしょう。積み木を触る、舐める、ということは、その時期には触ることによって、舐めることによって、そのものを把握しようとします。その行為自体を面白く感じているのかはわかりませんが、たぶん、遺伝子として持っている好奇心がそうさせるのかもしれません。見ていると、発達して、そのことが出来るようになったことを喜んでいるかのように、何度も何度も繰り返しそれをやります。または、そのことが確実に出来るようになるための練習かもしれません。
 試行錯誤は、それぞれの発達の時期に、子どもが自ら働きかけることで行うべきだと思っています。それぞれの年齢において行っているのです。ですから、同じ積み木をどの年齢においても意味があり、必要なことなのです。なので、0歳児に積み木を置いても、大きくなった時に遊ぶであろう積み木を、まずじっと見つめます。「これは何だろう?」そして、それを確かめるために、触ってみます。それで肌触りを感じます。もっと微妙に調べる?ために、舐めてみます。それらの行為が、本人が意識しているいないに関係なく行っていると思うのです。そして、次にしようとするのは、意外と積もうとします。ひとつの積み木の上にもう一つ乗せようとします。このころの積み木は、あまり小さいと積むことができませんし、滑って乗っかりにくいものは難しいです。まだ、細かい手の動きができないために、何となく偶然と積めたという感じです。
 どうしても、大人は積み木で何かを作った時に、その物が成果のように思ってしまいます。積み木を舐めようとした時、積んだ積み木を壊そうとしたとき、「舐めたら汚い」「積木は積むものでしょ!」と怒る人がいますが、子どもはその時期、その時期に、将来、必要になるであろうことの準備をするのです。どうか、今の子ども達の発達を見てみて下さい。高く大きく積むことだけがゴールではありません。時には一緒に思いっきり壊すことも楽しいですよ。