園長日記

2016 年 7 月 29 日 金曜日

 先月の終わりに年長児がお泊まり保育を経験してきました。このお泊まり保育では、色々な事が理解できるようになる年長児に対して、テーマや目標といったものを設け、2日間のプログラムの中で、自らの成長と周りの人との関係性を意識できるようにしています。今年は「勇気」と「友情」、「努力」「感謝」といった「4つの力を手に入れよう」という内容のものでした。たった2日で上記のような力を手に入れるということは正直不可能なことだと思いますが、実は、この2日間のお泊まり保育から帰ってきた後こそ、職員は大切にしています。事あるごとに、「みんな覚えている?」っとお泊まりでの出来事を何気なく話していくうちに、知らず識らずのうちに、子ども達の中に浸透していくのです。最近では、年長同士の些細な小競り合いでケンカしていた事も、相手の意見を受け入れ、許してあげるという場面も見えてきました。
 以前から、異年齢で過ごしていく中で、年下の子に対して、優しく接するということはどの子もできるのですが、同年齢になると、どうしても「できる子・できない子」「強い子・弱い子」ということが固定され、いじめにもつながってきます。反対に、異年齢で過ごしていると「できる・できない」は、一種の“個性”のようなものとして捉えてくれる気がします。「相手の立場を理解して行動する」ためには、自分がその立場になって自覚できる環境が必要になってきます。その意味では、普段の異年齢での育ちがとても大切です。年長児の更なる成長を期待してください。

(おたよりの続き)
 オランダの教育プログラムに「イエナプラン」というものがあります。このイエナプランの実践からはいろいろと学ぶところが多いです。その中でも、学級編成には特徴があります。日本における学級編成は、4月2日生まれから、翌年の4月1日生まれの子を同一学年として編成します。これは、一斉になにかを教えるような授業では、ほぼ発達が近い集団にということで便宜上そのように決めたものです。これが当たり前のように幼児教育の場でもその様なわけ方による集団編成にするところがほとんどです。しかし、このように生年月日による学級編成は、世界ではとても珍しいことです。たとえばフランスの母親学級では、子どもの発達に応じて、年齢ではなく段階として、子どもたちの成長を、2歳から小学校最終年までを3つのサイクルで考えています。就学前は1つ目のサイクル、5歳 から2年生までは2つ目のサイクル、3年生から5年生までは3つ目のサイクルです。このようなわけ方は、英語圏での幼児教育でのインファントとかトドラーというようなわけ方に似ています。インファントという言葉は、言葉を話さない人という意味ですし、トドラーというのは、よちよち歩く人という意味です。すなわち、年齢ではなく、発達で分けるというやり方です。オランダのイエナプラン校の学級編成は、マルチエイジグループが基本です。通常、3つの年齢のグループ(4〜6歳児グループ、6〜9歳児グループ、9〜12歳児グループ)から構成されます。子どもたちは、3年間を同じ教室の同じグループリーダーの下で年少・年中・年長の三つの立場を経験しながらすごし、それを繰り返しながら小学校を卒業するのです。つまり、一人の子どもは、低学年グループの年少、年中、年長を経て、中学年グループの、年少、年中、年長を経、再び、高学年グループの年少、年中、年長を経験することができるのです。こうすることによって、家族の兄弟関係に似た、年齢差による立場の違いを体験できます。
 家族の中だと、兄はいつまでも兄のままなので、弟は兄に従うだけですが、上記のようなクラス編成なら、兄や真ん中の子、そして末っ子の経験ができるというのは、人生の幅がぐっと広がりそうですね。

なぜ異年齢で過ごしているのかを8月15日ごろ載せます。

2016 年 7 月 15 日 金曜日

 チンパンジーのそれと対照的に、人間のコミュニケーションの動機はあまりにも根本的に協力的なため、私たちが相手を助けるために物事を教えるだけではなく、相手に物事を要求する主要な手段として、自分の要望を知らせておいて、相手が手助けを自発的に申し出るのを期待する、という方法をとるというのです。具体的な例としてトマセロはこんな例を挙げています。「私はいっぱいの水が欲しいと述べる(自分の要望を相手に伝える)だけで、水を要求することができます。それは、たいていの場合あなたが人を助けたいという傾向を持っており、この知らせるという行為が事実上完全な要求に変わることを私は知っているからだ。」と言っています。
 このような例は面白いですね。確かに、「水を持ってきて!」と言わないで、「水が欲しい!」と言えば、持ってきてくれます。要望が要求に変わります。それは、要望を聞くことで、相手は自発的に持ってきてくれるだろうと思うからです。このように人間のコミュニケーションは根本的に協力的な営みであり、相互に想定された共通概念基礎と、相互に想定される協力的コミュニケーション動機のコンテクストで、最も自然にそして円滑に機能します。
 このような、人間のコミュニケーションが本質的に協力的な性格を持つということが言われています。人は、知らず知らずに相手を助け、みんなで協力して生きていこうとしているのですね。
  このように人に備わっている力が日常の中でどんどん出てくるように、我々大人も、「助け合い」の精神を忘れてはいけませんね。木月保育園の子どもが守るルールの一つにも「困っている人がいたら助けよう」とありますので、子ども達にも、益々、助け合って生活してもらいたいと思います。