園長日記

2016 年 6 月 30 日 木曜日

    いつものようにクラスを回っていると、3歳児のA君が泣いていました。どうもお母さんが仕事に行ってしまい悲しいようです。当然、そのフォローをしに職員が来るかなと思い様子を見ていると、そこには同じクラスの女の子が2人やって来て、遊びに誘っていました。きっといつもの光景なのかなと思って見ていると、今度は、別の3歳児のB君が、ゲームのやり方がわからずに困っていました。すると今度は5歳児のC君がさらっとやり方を教え、そのままどこかへ行ってしまいました。
 成長の過程において上記のような関わりを見るとすごいなと思いますが、実は、人間のコミュニケーションには協力をし合うということが本質的に備わっており、これは人類が進化の過程で、生き伸びていくために必要な力でした。この力をなくすことなく、養っていくことこそ、我々の保育所というところの役割であり、子ども同士が関わりを持てる環境を作ることもとても大切なことです。英語や音楽が出来るようになることも素敵なことですが、もう一度、人類の進化の過程から、何が大事で、子ども達が将来、どのような力が必要なのかを考えていかなくてはいけませんね。

(おたよりの続き)
 先月載せた進化人類学研究所共同所長であるマイケル・トマセロは、人間の指さしの注目すべき特徴は、進化論的見地から言うと、社会的動機にあると言います。それは、相手の手助けになるようにと情報を伝えることだと言います。それは、動物界ではきわめて稀であり、私たちに最も近い霊長類の仲間たちにおいてさえ、見られないというのです。たとえば、チンパンジーの子どもが、クンクンと泣きながら母親を探しているとき、近くにいる他のチンパンジーたちが皆このことを知っているのはほぼ間違いありません。しかし、近くのメスが母親の居場所を知っていても、そのメスは母親を探す子どもにそれを伝えようとはしません。腕を伸ばして一種の指さし身振りをすることが完璧にできるにもかかわらず、そのメスが子どもにそれを教えないのは、そのコミュニケーションの動機の中に、他者を助けるために何かを知らせるということが含まれていないからだというのです。
 そう考えると、人は他人に協力するために生まれてきて、お互いに助け合って成長していくのだということが人の進化論から見えてきます。なんか、素敵な生き物だなと改めて人類の素晴らしさに気が付きました。

人の協力的なコミュニケーションについて7月15日ごろ載せます。

2016 年 6 月 11 日 土曜日

 前回、載せた、まったくものまねをしなかった動物に対して、人はどうだったのでしょう。当然のように人間は、指さしや物まねといった身振りを、自然でわかりやすい方法だと考えます。どの国のひとでも、どのように文化が違っていても、ヒトは指をさすと、その先を見ようとします。海外に行って、その国の言葉を理解できないときでも、その国の人と慣習は違っていても、多くの旅行者は自然に意味を持つ形式である身振りコミュニケーションに頼って、何とか旅を続けることができるのです。同じように、どんなに小さい子でも、言葉をまだ話さない乳児でさえ、指さしや身振りと使うと理解します。また、騒々しい工場の中とか、声が聞こえないようなガードの下など言葉では伝えられない状況では、人間は、自然に指さしや物まねでコミュニケーションを行ないます。
 トマセロは、人間がどのように言語を使って互いにコミュニケーションを行なっているのか、そしてこの能力が進化の過程でどのように発生してきたのかを理解するために、まず人間がどのように自然の身振りでもって互いにコミュニケーションしているのかを理解する必要があると考えています。そして、人間特有のコミュニケーションの最初の形は指さしと物まねだったという仮説を持っています。その指さしや物まねは、慣習的言語を作るのに必要な、人間特有の社会的認知と同期の大部分をすでに具現化していると考えているのです。
 赤ちゃんの成長や変化はそれだけで、可愛く、嬉しいものですが、人類の進化や発展という見方をしていくと、さらに興味深いですね。