人との関わり

「ディベートとディスカッション」

2015.10.15

 話し合いは、とても大切なことです。少し前から、ディベート(debate)行うことは、論理的な思考力やコミュニケーション能力を身につけていくための有効な手段と言われ、教育にも取り入れられています。ディベートとは、ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいいます。それは、ゲームとして行われることが多く、ディベートの試合は、設定されたテーマの是非について、話し手(ディベーターと呼ぶ)が肯定側・否定側に分かれ、決められた持ち時間・順番にのっとり、第三者(ジャッジ、観客)を説得する形で議論を行います。そして、ディベートには必ず勝敗があります。議論された内容を基に第三者が勝ち負けを評価します。勝ち負けの基準は、肯定側・否定側のどちらが、第三者(ジャッジ、観客)をより「説得」できたかで決めます。
 この力が社会に出てから必要であるということで、最近の若者や子どもたちの中には、ディベート力がついてきているようです。しかし、「話し合い」の質を高めるためには、どうもこの方法は意味がないように思います。特に幼児期においてはその方法はするべきではないと思っています。それは、基本的に、協力の姿勢がなく、勝敗があるからです。ですから、質の高い「話し合い」とは、異なっているような気がします。ということで、ディベートは、厳密にはディスカッション(discussion)や単なる議論とは異なるものであると位置づけられることが多いようです。
 話し合いの意味を面白いたとえから子どもたちに説明するやり方が紹介されています。「二人の子どもに、それぞれがクレヨンを1本ずつ持ってくるように言い、そのクレヨンを交換させます。交換する前にそれぞれが1本のクレヨンを持っていたこと、交換したのちの1本のクレヨンが手元にあることを確認させます。次に、その日の天気など1つのトピックについて考えを交換させます。考えを交換したのち、今日の天気についての考えが自分の中で2つに増えていることを子どもたちに伝えます。“お互いの考えに耳を傾けて、それを交換し合うと、考えは増えていくのよ”と付け加えましょう。」物を交換しても数は増えませんが、意見は交換すればするほど増えていくのです。まさに、これこそが話し合いのダイナミックな役割です。
 相手を打ち負かして、自分の考えを押し付けたところで、考えは膨らみません。これは、なにも子どもの話し合いに言えることだけでなく、大人の職場での新人とベテランの話し合いにも言えると思います。どうしても、ディベートを重視した教育の成果として、議論すると、自分の考えを主張し、自分の考え方を押し付けようとし、自分の考え方を豊かにするために相手の話を聞くという姿勢が見られないことがあるのが気になります。
 このような話し合いには、積極的に意見を言う子だけでなく、無口の人の存在も重要です。そこで、教師は、子どもどうしの話し合いを促すために、無口な子どもも、無理なく対話に引き入れることが必要です。無口の子が頷いたり、会話に反応して笑顔になるのを見つけたら、「ちゃんと言葉で言いなさい!」と話すことを強制するのではなく、その気持ちをくみ取って、「あなたも賛成みたいね」と、その子も話し合いに参加していることを認めてあげる必要があります。
 人は皆自分の考えや意見を持っています。それが正しいか間違っているかは問題ではなく、多くの経験を通して自分自身の価値観を作り、その価値観をもとに、多くの人と触れ合い、意見を交換しながら人としての幅を広げていくのですね。よく「あの人は器の大きい人だ」 とか「懐が広い人だ」と言う事がありますが、これは多くの経験をして、多くの人と意見を交換してきた人のことなのかなと思います。きっと保育園の子ども達も多くの経験を通して器の大きな人になっていくのかな…と思っていますo(^▽^)o

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