園長日記

2015 年 5 月 29 日 金曜日

幼児のお部屋で観葉植物にお水をあげていると、3歳か4歳の子が決まって「何しているの?」っと集まってきます。園「葉っぱさんにお水をあげているんだよ」。子「どうして?」。園「みんなもお腹がすくでしょう?葉っぱもお腹がすくから、お水をあげるんだよ」。このようなやり取りをしていると、年長児がやってきて「そうだよ!ご飯は食べられないからね」っと何年か前にやり取りをしたことを覚えているのだなという発言をします。
一般的に教育というと「国語」「算数」「英語」と最近は出てきますが、保育園では多くの教科の教育をしています。この日のやり取りは教科でいうと「理科」に当たり、月に1・2度、「サイエンス」という時間も設けています。この他にも「体育」や「音楽」、「図工」というように子ども達は毎日、たくさんの「お勉強」をしています。先生が前に立って教えるという形ではありませんが、多くの「遊び」という経験から、「お勉強」の基礎を学んでいるのです。
どうか、ご家庭でも子ども達との関わりの中で、色々な物に興味を持ち、行動に移せるような関わり方を意識してみてください。きっと、子ども達の日々の目の輝きが変わってくると思います。

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(おたよりの続き)
昨年ノーベル物理学賞を日本人3人が受賞したことは、とても喜ばしいことですね。受賞式前日の会見のなかで、日本人研究者の受賞が増えていることについて「日本人にとっては基礎研究は非常に重要。日本の学術界は基礎研究に価値を置いている。それが、ノーベル賞につながっているのでは」と話しています。そして、若い世代へのメッセージを2人は口をそろえて「チャレンジすること」を第一に挙げました。中村さんは「常に新しいチャレンジに向かうのが重要。怖がらず、新しいアイデアにどんどんチャレンジを。リスクをとらないとブレークスルーはない」。天野さんも「チャレンジすることが人類への貢献につながる」と期待を込めて語っています。
最近、先進国は共通して若者の理科離れに悩んでいます。何とか、各国とも理科離れの阻止、科学技術人材の養成・確保に本腰を入れて取り組み始めています。EU諸国でも同じようで、ドイツでは若者の理科離れに対して、それを阻止しようといろいろな取り組みを始めています。しかし、その内容は、日本とだいぶ違います。それは、学力低下においての取り組みとも同様ですが、ドイツの特徴は、その原因の分析と長期の見通しの中でその問題を解決しようとするところです。 その結果、どのような取り組みをするかというと、幼児教育の見直しと、幼児期からの取り組みをするという点です。日本では、どうしても小学校教育以降、特に高等教育に目が行きがちですが、乳幼児期の育ちから取り組むのです。その一つの取り組みが、「小さな科学者」という取り組みです。という事で、少し、理科というよりは、科学という考えです。木月保育園で行っている「サイエンス」のような取り組みです。
そう考えると、多く言われている「理科離れ」とは、「理数離れ」であり、簡単に言うと、「理科」と「数学」という科目が嫌いになっているという事があげられます。実は、本来はそのようなことではないのですが、一つの目安にはなります。その観点から見たときに、多くの先進国の最近の傾向と言われていますが、実は、特に日本が問題なのです。
IEA(国際教育到達度評価学会)の数学教育・理科教育の国際比較?第3 回国際数学・理科教育調査の報告書では、理科を「大好き」または「好き」と答えた生徒の割合は、上位からシンガポール86%、イギリス83%、米国73%に対して、日本55%、韓国52%となっています。また、数学を「大好き」または「好き」と答えた生徒の割合も上位からシンガポール79%、イギリス77%、米国69%に対して、韓国54%、日本48%とどちらも日本はとても低い結果になっています。
なぜ、このように理科や数学を嫌いになってしまうのでしょうか?

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6月15日ごろHPにこの理由を載せます。

2015 年 5 月 15 日 金曜日

レーヴェンの提案は、「大人が子どもに“何かをもたらす”ことができるという考え方には別れを告げなければならない」ということでした。教育という考え方からでは、子どもを粘土のように「形づくる」ことは、そもそも不可能なのです。ただし、世界の習得という陶冶の過程においては、教育によって初めて成立するのです。ですから、教育は、子どもが獲得する世界像の在り方に直接影響を与えることはできないし、陶冶過程に直接作用することはできないのです。
このように考え、定義することによって、教育をすれば子どもの自発性を損ねるのではないかという、根強い保育者たちの不安を解き放ったのです。日本では、幼児教育の原理原則として自発性がきちんと定義づけられていませんので、逆に教育をするという行為が自発性を損なうのではないかという議論がおきない気がします。しかし、レーヴェンがきちんと整理したおかげで、多くの保育者はインタビューで、陶冶と教育の関係を、レーヴェンを引き合いに出して、ダンスをするパートナー同士の関係にたとえて語っています。それは、陶冶と教育とは一方がその領域を広げれば、他方がひっこむような、相互に排除しあう関係にあるのではないということなのです。
このような議論が起き、また、試行錯誤が繰り返される頃、すでに日本では英米の心理学を研究し、取り入れ、それを参考に幼稚園教育要領が作成されています。日本では、それによって、カリキュラムが編成されていました。しかし、そこには、民間委員が倉橋惣三をはじめ東京周辺の当時一流と目される学者や実践家を集めて編集が行われた「保育要領」に代わって、民間委員は無名の若手のみで作られた「幼稚園教育の要領」が編集されたという事情がありました。ここには、どうも省庁の思惑があったような気がします。
その点、ドイツの場合、日本よりも遅れているかのように見えますが、保育施設の課題は「教育と陶冶と保護」を含むという、児童青少年福祉法の規定が成立した時点では、保育者の手助けとなるようなカリキュラム大綱がなかったからこそ、むしろ、陶冶とは何かと、その概念に立ち返って問うという試みもまた行われたのだと言うこともできるようです。
日本では、いまだに幼児教育が学校教育とは異なる独自性を持っているという子との認識が薄い気がします。幼小接続が大切ということを、早くから小学校教育の準備をすべきであるとして捉えたり、小学校教育がやりやすいような子ども像を求めたりと、いまだに伝統的な刷り込みから脱していません。幼児教育論を、原理に立ち返って問おうとするドイツの姿勢を、わが国でも見習ってほしいと思います。