園長日記

2014 年 9 月 30 日 火曜日

 保育園には様々な種類の積み木があります。それらの積み木を上手に使い分け色々な作品を作っています。先日も、大きな作品がいくつも出来上がっていました。年長の子ども達が作ったのかなと思って見てみると何と年中の女の子達でした。高く積み上げているだけなのかと思っていたらよく見て見ると、高く積み上げたタワーの下に囲いのような物があり、更に数人の人形の積み木も置いてありました。なんだかタワーマンションのように見えてきました。その回りにある物も近隣マンションに見えてきて積み木を通しておままごとならぬマンショントークが繰り広げられていたのかなと思いました。
 積み木はその遊び方からバランス感覚や集中力が付く等様々に言われますが、保育園では全く別の力が付くのかなと思います。それぞれが作品を作っていく中で 、他の子どもが作った作品と自分の作品を組み合わせて町のような物を作りその作品を通して物語が始まります。このような関わりから、友達とのやり取りが生まれ、作品を通して、表現力も育っていきます。
 子どもに対して何もできない存在と見た時、それは、積み木をしていても、おままごとをしていても「ただ遊んでいるだけ」にしか見えません。しかし、少し見方を変えてみると、子どもは常に色々な事を学び、成長していることに気が付きます。「勉強勉強」と言うのではなく、「遊べ遊べ」と言う大人がもう少し増えるといいなと思っています。
 

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(おたよりの続き)
 積み木は、フレーベルの考え方を基にしたものから作られ、現代では新しい形を提案したものなど様々なものが出回っています。それは、保育業者や、遊具製作者が、あたらしい商品を開発してそれを取り入れてもらうことで、子どもたちにあたらしい世界を体験してもらおうということです。しかし、なかなか子どもの心を引き付けるものは開発されません。それぞれに欠点があったり、同じようなものがあったり、子どもの発達にあっていなかったり、子どもの興味関心を引く魅力あるものでなかったりするからです。
 その中で、ヒットして、多くの園が取り入れている積み木の一種に「カプラ」という遊具があります。もちろん、木月保育園にもあります。カプラ (kapla) はオランダ生まれのトム・ファン・デル・ブリュッヘンによって考案されました。カプラという名前はオランダ語の “kabouter plankjes” (小さな板) に由来しているそうです。この名前のように、カプラは、薄い板です。松の木から非常に正確な寸法で削られてできています。その厚さ、幅、長さ (117,4 mm) の比は1:3:15であり、この寸法はすべてのカプラシリーズで同じになっています。カプラの組み立てには、考案者の「きちんとした設計図などによって作る人の想像力を妨げたくない」という意向に沿って、他の部品は必要がなく、ただ木片の上に他の木片を積み上げて行くだけで複雑な構築物まで作ることができるために子どもたちに人気があります。
 カプラは保育園でも2歳児からお部屋に置いてあり、とても人気の積み木です。2歳児でも、年長児のお兄さんが遊びに来た時に教わり、それを真似て、積むことを覚えています。積み木の魅力は乳児にも伝わっているのですね。


カプラの魅力について10月15日頃詳しく載せます。

 

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2014 年 9 月 13 日 土曜日

 芸能人がなくなったというニュースの時、喫煙が原因であるかのようなことが流れることがあります。日本では直接の死亡原因と喫煙の関係については言いませんが、アメリカでは、もうすでに喫煙率が半減したことにより、ガンも減少傾向にあり、医療費も減少、多少なりとも経済復興に貢献しているということから、日本でも積極的に禁煙を勧めるようになっています。同様に、各国では、子どもの味覚形成と食育が、心身の問題としても重要視され始めています。
 以前、静岡英和学院大学教授の佐々木氏の講演がありました。彼は長く家庭裁判所の調査官をやっていて、非行の子たちと関わっていたそうです。その時に、非行の子ども達の夕飯は一体どのような過ごし方をしているのかなと、25人ほど調べてみたそうです。まず、好きな時間に一人で食べる「孤食」、家族が一緒にいても、みんな別々のものを食べる「個食」、決まったものしか食べない「固食、偏食」、朝飯を取らない「欠食」、彼らは全員この特徴が全部当てはまるか、あるいは1個以上当てはまったそうです。しかも、早い子どもは幼児期からそうだったそうです。年長、年中ぐらいになってくると、「腹減った」というと、親は「はい、どうぞ」と食べさせる。のべつまくなしボリボリ、バリバリ。ここに佐々木氏は非行の原因があると確信したそうです。
 佐々木氏は、おなかがすいても我慢するということをしなければならないと言います。それは、他の分野でも我慢が要らない、自分の欲求が出てきたときは、即何をやってもよいという考え方、行動になってしまうことが、非行に結び付いていると警告しています。
 我慢をするということも、ただ我慢しなさいではなく、みんなで一緒に食べるときまで我慢しようと言える食事は、子どもが育つ環境の中でもやはり大事な場ですね。特別に食育として取り組むことをしなくても、一緒に食べるとか食べる楽しさとか、そんなことから始めていくことの方が、結果として食全体の改善につながっていくのではと感じます。
 子ども集団では、当然自分の思いだけが通らないことも多いでしょうが、それが成長には必要なことなのですね。