園長日記

2014 年 4 月 30 日 水曜日

 4月の入園からもうすぐ1か月が経ちます。子ども達もだいぶ慣れてきたようで、あちらこちらで笑顔で過ごす様子を見ることが出来るようになってきました。
 しかし、時には、自己主張したり、甘えたくなったりと泣いて訴えているのかなと思える場面は良く目にします。この先生なら、私の主張を受け止めてくれるのかな?この先生は聞いてくれないのかな?など考えているのか、大人を選び、訴えかけてきます。そう考えると、子どもは赤ちゃんの頃から選ぶという事をし、自分の想いのままに大人を従えるために泣いているのかもしれませんね。「子どもは何もわからないから・・・」などと言っていられませんね。(・ ・;)
 今、少子化、核家族化が進み、多くの家庭では母親と赤ちゃんとが二人で過ごす時間が増えています。当然、二人だけでは社会を経験することは出来ません。一方、保育園の園児は赤ちゃんの頃から保育園という社会を経験することによって、自分の意思を周りに伝え、行動するとうい環境を与えられます。この中で、どう訴え、それにどう応えていくかが大切になってきます。
 今年も一人一人と丁寧に関わりながら、子ども達がしっかりと自分の意思を人に伝えられるようにしていきたいと思っています。

(おたよりの続き)
 少し前、飛行機で赤ん坊が泣いたことに対して激怒したという人のことが話題になりました。そして、赤ちゃんの泣き声は騒音かということが議論になりました。泣き声を聞くとイライラするというのです。当然、赤ちゃんは泣くことで人に気持ちを伝えますので、よく泣くのが仕事だと言われます。ですから、泣き声を騒音というのはおかしいという人がいます。私は、泣き声を聞いてイライラするのは当然だと思っています。赤ちゃんは、おなかがすいた、おむつがよごれた、暑いなど不快な状況になった時に、その状況から脱しようとします。しかし、自らの力ではそこから脱することはできません。そこで、誰かの力を借りなければなりませんので、誰かに頼みます。その伝える手段として泣くのです。「早くして!」と訴えるわけですから、その泣き声は、聞く人にとって不快なために早くその泣き声を止めようとして、食べ物を与えたり、おむつを替えたり、服を調節するのです。もし、その泣き声が聞く人にとって心地よければ、解消せずに、長く聞き入ってしまいます。
  しかし、赤ちゃんが泣くのは、必ずしも不快な気持ちを伝える手段だけではありません。いわゆる産声と言われている、産まれてすぐに泣きだすのは、大きく息を吸い込むためです。また、甘える時に泣き声を出す時もありますし、自分に注意を向けるためになくこともあり、泣くことで息つぎを覚え、その後の言語を話すための機能を育てているとも言われています。たぶん、その時の泣き声はそれほどイライラさせない気がします。
何か不快な状況を訴えるために泣いているときには、親はその不快な原因を探り、その不快を取り除くことをしなければなりません。しかし、そうではなくて泣いているときには、どうすればいいのでしょうか?そのような疑問を「昨日までの世界―文明の源流と人類の未来」の著者であるジャレド・ダイアモンド氏はこう問いています。「これといった理由もなさそうなのに泣いている場合は、どうしたらよいだろうか。赤ん坊を抱き上げてあやすべきなのだろうか。それとも、泣きやむまで放ったらかしにしておくべきなのだろうか。どちらがよいのだろうか。」また、「赤ん坊は部屋でひとりきりにされたほうが、親に抱かれたままの状態より、長く泣き続けるのだろうか」とも言っています。どうも、泣く子をどうするかは、国によっても、同一社会において世代によっても異なるようです。世界では泣いている子どもに対してどのように関わっているのでしょうか?

5月15日ごろ世界の子どもに対する対応を載せます。

2014 年 4 月 15 日 火曜日

  「昨日までの世界―文明の源流と人類の未来」の著作であるジャレド・ダイアモンド氏は、とても興味のあるところに注目しています。それは、父母以外の人間が、子どもの面倒を見る頻度はどのくらいあるかという調査です。現代の社会において母親、父親の育児分担はとても増え、最近の問題として、保育園に子どもを預けることを含めて、親以外の他人の育児参加を伝統的社会ではどのように行ってきたのか、それは、子どもにとってどのような意味を持ってきたのかを調べることは、とても意味あることのように思います。
  狩猟採集民の小規模血縁集団では、赤ん坊が生まれて1時間も経たないうちに、その子のアロペアレンティングが始まるそうです。このアロペアレンティングとは、代理養育と呼ばれ、生物学的な親以外の人間が子どもの世話をやいたり、面倒をみたりする養育スタイルのことを言います。このような養育は、人類が誕生したころからも、小さな貝殻を遺跡から発掘した時にも、それは、赤ちゃんをみんなで養育する証であることではないかと考えられています。同様に、アカ・ピグミー族やエフェ・ピグミー族は、生まれたばかりの赤ん坊が、焚き火の周りでグルグルと人のあいだを手渡しで回され、大人たちも年長の子どもたちも、みな同じように、赤ん坊を手渡しし、ほおずりをしてみたり、そっとゆすってみたり、歌を歌って聞かせてみたり、理解できるはずもないのに言葉をかけてみたりするそうです。確か、NHKヒューマンでは、アフリカのクン族では、そのように赤ちゃんを手渡しながら首に首飾りを下げてあげます。発掘された貝殻はそのように使われたのではないかと思われているのです。]赤ん坊が手渡しされる平均回数を実際に数えた人類学者の報告では、エフェ・ピグミー族とアカ・ピグミー族の赤ん坊の場合、一時間に平均八回いろいろな人に手渡されていたそうです。
  また、狩猟採集民のあいだでは、赤ん坊の世話が共同作業になっていて、母親と父親や親代わりの大人とが育児を分担していたようです。それは、父親や親代わりの大人とは、たとえば祖父母、おば、大おば、他の村人、年長の兄弟といった人たちです。これに関しても、人類学者が実際に人数を数えてみると、数時間という観察時間のあいだに、アカ・ピグミー族の赤ん坊は7,8人に面倒をみてもらっており、エフェ・ピグミー族の生後四カ月の赤ん坊は14人に面倒をみてもらっていたそうです。そして、この面倒を見た仲間のことを「家族」といったのです。この調査報告は、他の報告とも合致します。また、人類の生理学的特徴が裏付けます。特にその時に大きな役目を担ったのが、祖父母です。ジャレド氏も、狩猟採集社会では、父母と一緒に、乳幼児が食料の調達に同行することはあまりないので、赤ん坊や幼児は祖父母と一緒に野営地に残り、父母が心おきなく食料探しに専心できるようにしているといます。そして、父母が出かけている間は、農耕民族と違って、夜になったら帰ってくるというわけではなく、数日の場合もあれば、数週間にわたる場合もあったようです。
   親、特に母親から離れて育児された子はどうかというと、こんなデータがあります。子どもの体重増加をみると、東アフリカのハヅァ族では、祖母が子どもの身の回りの世話などをしている場合と、そうでない場合とでは、祖母が養育に関与している子どものほうが体重増加のペースが速いそうです。
   このように、いつの時代にも子育てはたくさんの人を介して行われてきました。それは日本に関しても同じです。田畑を耕しながら、家族や親せき、近所の方も一緒になって子育てを行ってきました。このような伝統的な子育てが出来なくなってきた現代は、やはり保育園を上手に活用し、子ども達の育ちをみんなで保障していく必要があります。決して小さいうちから預けることはかわいそうな事ではなく、「3歳までは家庭で・・・」と言われていたのがなぜなのかと言うことが疑問に思います。昔から、多くの人によって育てられた子ども達はたくましく育ちます。保育園では、多くの先生との関わりがあり、初めての社会を経験できます。
どうか、子どもと一緒にいられる時間を大切にしながら、子ども達の育ちを共に支えていきましょう。