園長日記

2014 年 1 月 31 日 金曜日

   園では自由遊びの時間はもちろんのこと、食事前や活動の合間に絵本や紙芝居をよく読んでいます。どのクラスの子ども達も絵本や紙芝居は大好きで、ことあるごとに「先生読んで~」とおのおの違った絵本を持ってやってきます。好きな子は乳児でも一人で読んでいる…?子もいます。
   これらの絵本は園では様々な意味を持って読んでいる時があります。例えば乳児組では食事やトイレのやり方を覚えるために生活の仕方が学べる本であったり、ケンカなどをしないで仲良くやろうというお約束を守ってもらうような本であったりします。また、幼児組では文字や数字を覚えるための本があったり、宝探しや迷路のようなゲーム感覚の本などがあったりもします。しかし、一番多いのは、やはり物語の本ですね。昔から伝わる昔話と言われる本やベストセラーになっている海外の絵本などもとても人気です。小さいうちから多くの本に親しみ、時には感情や感性を学びながら成長していく上でとても大事なことを学んでいきます。
   どうかご家庭でも、多くの本に親しみ、絵本を通して様々な世界を、大人の口から子どもの耳に伝えていってください。

(おたよりの続き)
 「子供の世界」という著作の中で、「もののききわけもつくようになると、こんどは昔話が子ども達のために語られた。」と民俗学者の宮本常一さんは書いています。そして、これらの昔話は、語られる時と場所があったようだと言います。子守唄の多くは、おんぶされた背中で聞くことが多かったのに対して、昔話は夜に語られたようです。例えば、「昼むかしは鼠が笑う」などと言われるように、昼間はしなかったと宮本さんは言います。また、場所も、「ある地方では酒宴などのある時、語り手がその席へ招かれて語ったともいい、ある地方では昔話を聞く日があってその日子ども達が老人の家へ集まって着物をかぶって聞いたともいう。あるいは、話は庚申塚様の晩にするものだと言われている。いずれも夜に語られているようです。ただ、聞き手は必ずしも子どもではなかったようです。
 それが、次第に私たちが持っているイメージである年寄りが炉辺で子ども達に語って聞かせるものに普遍化していき、語り方も崩れてきたであろうと宮本さんは書いています。しかし、「子ども達はそれによって言葉を覚え、また村里生活におけるものの見方や、考え方を学んだのである。」と言います。そして、「これらの昔話が明治の中ごろまで広く日本全体の農村で語り継がれていたものであったことは、今日おびただしく出版せられている各地の昔話州からも推察せられる。しかも、それはほんのわずかのものが記録せられているにすぎないのであって、今日のベストセラー1本のように、話が民衆の間に行き渡っていたと思われる。」とも言っています。
 明治中ごろまでは、昔話は、絵本ではなく、お年寄りからの口承であったようです。しかし、そのお年寄りは語りの専門家ではないのに、どうしてそんなにたくさんの話を知っていたのでしょうか?しかも、全国各地のお年寄りたちは、子どもたちにその話を面白おかしく、迫力を込めて話すことができたのでしょうか?それには、昔話独特の特徴があったようです。次回に続く・・・(^^)v

 

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昔話について2月15日ごろ載せます。

2014 年 1 月 12 日 日曜日

 子どもは、さまざまな遊びから社会を学んだり、生活の知恵を学んだり、もじやかず、科学を学びます。クリスマスの時などは、子どもたちはサンタクロースからどんなものをお願いするのでしょうか?デパートなどではおもちゃ売り場は大賑わいです。プレゼントにおもちゃをもらう子どもが多いのでしょう。子どもの頃は、基本的には、お正月の時期こそが色々なおもちゃを使う時期でした。たとえば、すごろく、カルタ、トランプ、凧、はねつき、コマ、百人一首、これらの遊びは、お正月限定の遊びでした。
 今、保育園と幼稚園との一体化議論の中で幼稚園は「これまで幼稚園が果たしてきた満3歳以上の子どもに対して、学校教育としての「教育」を提供する役割」を大切にすべきであると提案されています。OECDでは、「“学校”という言葉は多くの国や地域で威光と多様性の両方を保持する。」と指摘するように「学校」という言葉に特別な意味を感じるようです。この言葉が、「学ぶところ」を意味するのであれば特に問題はないのですが、どうも私は、認知的な内容をトップダウンで子どもに伝える場所としてのイメージが強くなるので、「幼児教育は、学校ではありません」とつい言いたくなってしまいます。日本では言葉の定義は統一されていませんから、議論は難しくなるのでしょう。
 ただ、乳幼児施設では、少なくとも小学校とは異なった学習方法があります。たとえば、小学校で教わる内容である「もじ・かず」の学び方も、子どもたちは遊びと生活の中から学んでいきます。そして、その学びは椅子にすわり、机に向かって学ぶのではなく、子ども同士の関わりの中で学んでいくことが多いのです。たとえば、文字の中の「ひらがな」を学ぶときに、その文字が一つ一つの音を表していることを知らなければなりません。それは、単語の音節分解を知ることから始まります。小学校1年生の国語の教科書の最初は、「りす」という単語のわきに「●●」というように2音節であることを示すドットがついてあることが多いのは、まずはそれを理解してもらうためです。これを幼児のころに理解するために遊んだのが、「しりとり」と「カルタ」なのです。「しりとり」は、単語の最後の音節を最初に持っていって単語をつくっていくという遊びです。「りす」「すいか」という具合です。また、「カルタ」は、文章の最初の単語の頭音の一文字が書かれてある札を取り合う遊びです。「カルタ」は、「カード」という単語をポルトガル語で表した言葉です。ドイツ語では「カルテ」、フランス語では「カルト」と言っています。このように、「カルタ」がポルトガル語であることや、現在、滴翠美術館に唯一残っている「天正カルタ」の図柄が、初期ポルトガル様式の特徴を持つことから、日本にカルタを伝えたのは、ポルトガル人ではないかと推測されています。今からおよそ400年前、九州各地の港に、ポルトガル船が相次いで入港しました。このポルトガル船が日本にカルタを伝えたということになれば、ポルトガル人が種子島に漂着した1543(天文12)年から、ポルトガル人来航禁止令がでた1639(寛永16)年までの、およそ100年の間に伝わったのでしょう
 遊びの中には、文字・数だけでなく、歴史や地理、科学や生き物といった探究心を増す要素が多く含まれています。それらを、保育園の内から経験し体験しながら興味や関心につなげていきたいと思っています。

2014 年 1 月 1 日 水曜日

  明けましておめでとうございます。今年も素晴らしい年がスタートしました。幼児組では、このお正月ムードを盛り上げるために、毎年伝承遊びの会を行っております。今年は地元のお年寄りを招待して、昔ながらの遊びを学んだり、一緒に楽しめたらと思っています。
 伝承遊びは保育園ではいつでも遊べるようになっています。すごろくやカルタ、コマなど季節に関係なく楽しんでいます。簡単に出来るものから練習をしなくてはいけないものまで色々ありますが、難しいものほど、子ども達は夢中になり、それが出来るようになった時の感動も大きいです。特にコマは、3回まわすと私から自分だけのコマがもらえるということもあり、張り切って練習しています。たまにのぞいては、新しいコマをちらつかせ、子どもの好奇心とやる気を引き出していますv(^^)v最近ではもっとやる気が出るように、3種類の手乗せゴマが出来るようになると、真ん中の芯が鉄のコマをあげると約束しました。その途端、今まで以上に練習に励む子どもが増えてきました。これは飴玉で釣りながらやらせることが目的ではありません。最近は何事にもすぐにあきらめてしまい、大人の口癖かもしれませんが、「ムリ!」と言って一言で片づけてしまう子が増えているように感じるからです。だから、一見、保育園の園児が行うには少し難しいコマに挑戦することで、練習すれば難しいことでも出来るようになる。すぐにあきらめてはいけないということに気が付いてほしいと思ったからなのです。
   子どもの意欲ややる気のスイッチを入れることはとても難しいです。しかし、一度入ると子どもは水を得た魚のように集中してのめりこんでいきます。小さいうちからのこの経験が将来にもつながっていきます。楽しみながら、どんなことにも挑戦できる子ども達になってほしいですね。

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(おたよりの続き)
   お正月の楽しみは、お年玉とお正月ならではの遊びをすることでした。それは、室内ではカルタやすごろくや福笑い、屋外では羽根突きや凧揚げに興じました。それが、最近は、カルタからトランプ、また、凧揚げはゲイラカイト、羽根突きからバトミントン、更にそれよりもクリスマスのときにサンタさんからもらったおもちゃやゲームなどをするようになりました。
    調べてみると正月に関する子どもへの調査結果では、正月にもっとも多くの子どもがした遊びは、調査母体においては「携帯ゲーム機」だったそうです。正月に遊んだ子どもの半数以上、52.0%が「携帯ゲーム機で遊んだ」と答えています。一方、昔ながらの伝統的な正月の遊び「カルタ」「すごろく」「百人一首」などはいずれも10%前後に留まっていたようです。
   日本古来の正月の遊びは、全般的には廃れつつあるようです。また、「百人一首」以外は高学年になるにつれて数字が落ちる傾向があり、正月に限らず、学年が上がるに連れて各種ゲームや「子どもっぽく見える遊び」からは遠のく傾向にあるようです。しかし、唯一「百人一首」が上昇傾向を見せているのは、学校で古文として習い、宿題として出されることもあるようです。もともと、百人一首は正月の遊びの一つとしてだけではなく、それを庶民はみんな暗記をしていました。仮名が生まれて、日本人独特の和歌が作られるようになってから日本文学が発達したのですが、平安時代の末になると、古今集だけではなく、いろいろな選集ができました。それを公家階級の人はみんな暗唱できるようにしていました。それで自分が何か作れといわれた時には、暗記しているものの中からいい歌を選んで、ちょっと内容を変えて発表していました。百人一首などの遊びで和歌を勉強する機会を作っていたわけで、ある意味では、遊びを通して教養を身につけるために百人一首ができたのかもしれません。
    「百人一首かるた」は平安時代につくられた様々な和歌集を、鎌倉時代に京都の小倉山に住んでいた藤原定家が集めた「小倉百人一首」でできており、宮中の遊びだったものが江戸時代の木版画技術によって庶民に広がり、お正月に楽しまれるようになりました。定家は、選者としてよく頼まれるようで、天皇から命令を受けて「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の和歌集を編集したことでも知られた公家です。また、定家の和歌だけでなく、筆跡までをもまねることが大流行します。定家の名を取り「定家流」と呼ばれた書風ですが、当の本人は自分の字を上手とも思っていなかったようで、「鬼」のような字だと「明月記」に書いています。
   やはり遊びから学ぶことは昔からやっていたのですね。                   

カルタについて1月15日頃載せます。