赤ちゃん研究

「愛着」とは・・・?

2013.04.30

 新年度から1か月が経ちました。日々の保育の中で、子どもからの「要求」をしっかりとキャッチしながら、一人でも多くの子の意に沿えるように奮闘しています。その甲斐あって、あれだけ泣いていた子ども達も、段々と落ち着きを取り戻し、先生との「愛着関係」も少しずつ築いてきているようです。関係を築くのが早い子は終始笑顔で過ごす様子も見てとれます。
 ただし、一人一人の子がどの職員とも愛着関係を築けているわけではありません。一人一人が先生を吟味しながら関係を築いているのです。このようなやり取りを初めて経験するのが「社会」の勉強であり、少しずつこの「社会」の一員として、自分の存在や場所を見つけていくのです。そして、この勉強こそが、少子化の現代には大切な力になってくるのです。
 もし、「小さいうちから保育園に預けてコメンね」と思っている方がいるなら、それは違います。今、「社会」を経験できるのは限られた場所しかありません。どうか、日々学んで成長している子ども達の姿をしっかりと見つめ、保護者としての深い愛着関係を築いていただきたいとおもいます。

(おたよりの続き)
 人は、人生において様々な人と出会います。また、その出会いかたも場面によって、年齢によって様々です。携帯電話のアドレス帳も、家族、職場、教育関係、プライベート、地域、会社などのフォルダーに分けられていますが、それぞれにおいての関わり方は違ってきます。このような様々な人とかかわることが、そして、それぞれの関わり方を変えてくことが社会で生きるということであれば、確かに人は大きな脳が必要になってきますね。
 しかも、そのかかわり方の違いは、その立場、職種によって変わるだけでなく、相手の年齢、性別、個性によっても変わってきます。また、その日の、その瞬間の相手の気持ちも反映します。それは、表情、声の調子、態度など非言語的ヒントから判断しなければなりません。この能力は、人と人とがうまく同調するために必要なものです。同調するためには、お互いが考えるのではなく、非言語的ヒントを即座に読みとって円滑に反応する必要があります。
 このような能力は、乳幼児のころに育てるべき教育であるとされています。この時に使われる「教育」とは、教え込むことではなく、生まれながら持っている能力を引き出し、それをより洗練し、確実なものにしていくということです。この確実なもの、安定したものにするために、周囲の誰かとの「愛着」が必要になってくるということです。そして、それを育てるのが、乳幼児期の課題であれば、当然愛着の対象は母親であることが多いであろうし、母親はその時の子どもの思いを受け止めることが必要なのです。
 しかし、その後も人は人生の中で様々な人とかかわっていきます。その時には、いくら中学生になっても、大人になっても、傷つけられること、不安になること、理解してもらえないことなど負の状況になることはたくさんおきます。その時にも、心の安定をもたらすためには愛着の存在が必要になります。その時には、乳児のころの母親との愛着が半永久的に作用するとは思っていません。乳児のころの愛着の思い出のまま母親と別れているのであればありえますが、いつもそばにいる母親が小学生になったから、中学生になったからといって、子どもの心に寄り添ってあげなければ、乳児期の愛着の絆は切れてしまいます。しかし、それを、周りの誰かが補うことはできると思います。
「愛着」とはただそばにいれば良いわけではないようですね。

どうすれば「愛着」が形成されていくのかを5月15日ごろ載せます。

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