園長日記

2013 年 2 月 28 日 木曜日
   先日、「伝承遊び」の会がありました。保護者の方やおばあちゃんにも来ていただき、盛大に開催されました。子ども達も普段あまりやったことのない遊びを教わりながら、色々なコーナーを回って楽しみました。段々と慣れてくると今度はぞう組やきりん組の子が先生となってうさぎ・りす組の子に教える姿も見られるようになってきました。    もともと伝承遊びは子どもから子どもへと受け継がれてきたものが現在に残ってきたので、当たり前の話かもしれませんが、子ども達は大人から与えられたものよりも、子ども同士で関わっている方が遊びが長続きしているように見えます。例えばけん玉や羽根つき、お手玉は少し練習しないと上達できず、面白味を感じることが出来ませんが、この日の様子では子ども同士でコツを見つけ教え合いながら、とても長い時間遊んでいました。きっと伝承遊びには、「楽しみ」と「空想性」と「模倣性」があるからかなと思い見ていました             (^―^)V (おたよりの続き)    私たちが「遊び」という言葉を使うときに、子どもが食べるとか、寝るとか、なにか具体的な行為をするとき以外の行動を、「遊び」と言って片づけることがあるようです。また、おもちゃも同じようなことが言えます。子どもが手にしたもので、道具以外のものをすべて「おもちゃ」といっても理論的には説明が通ってしまいます。しかし、「遊び」について考えると、さまざまな「遊び」「おもちゃ」について書かれてある考察は、必ずしも、子どもの「遊び」に当てはまるのか、特に、乳児における「遊び」と言われる行動が、「遊び」に分類されるものなのか、という疑問があるからです。    1980年に発行され、1991年には第4刷が発行されている本に『おもちゃの文化史』(和久洋三 監訳/玉川大学出版部)があります。その著者は、アントニア・フレイザーというイギリス・ロングフォード伯爵家の8人兄妹の長女で、本人も5人の子どもの母親です。彼女は、この本のような子どもに関する本の執筆活動を続けていますが、雑誌「ボーグ」[ママ]の編集者としても有名です。この本の中で、「おもちゃ」について書かれてあります。     「おもちゃは、楽しみと空想性と模倣性を組み合わせたもの。そして、おもちゃの歴史を作ってきたものは、「子どもの要求」「歴史家の興味」「おもちゃの収集家の存在」そして、「すっかり成長したおとなでも、きっぱり断ち切ってしまうことのできない子ども時代をなつかしむ気持ち」であり、どれも同じ重みを持っているといえる。」  この内容はイギリスにおいての話かもしれませんが、日本でも言えそうです。確かに「楽しみ」と「空想性」と「模倣性」が組み合わさったものが「おもちゃ」であるということは、遊びにも言えることのような気がします。そして、この三つの能力を持った存在として子どもをみることもできます。    しかし、このようなことは、乳児においても言えるでしょうか。乳児においての「遊び」は、大人の価値観からそう位置づけたもので、赤ちゃんにとっては、生きていくうえで必要な発達を、より確実に、より創造的に繰り返す行動であり、それは、「息をする」とか「食べる」と同じような行為のような気がするのです。したがって、乳児のころのこのような行動は、赤ちゃんにとって「生活」をしているということになるような気がしています。そして、乳児期から幼児期に向かっていくにつれ、子どもの生活の中で、遊びの占める割合は、次第に大きくなってきます。生活だけであった毎日から、次第に遊びが生活の中心部分をなし、生活そのものが遊びに転化されていくのです。そのきっかけは、生活の中から偶然とその自分の行動から、楽しさや不思議さ、変化することを見つけ、それが遊びになっていきます。ですから、「遊び」には、その成長を育むための社会的な行為ともいわれるのです。そして、大人社会や大人の行動を模倣する行為からきているものが多いのです。    このようなことから考えても、こどもの「遊び」は、大人の「遊び」とは同類ではなく、それどころか、とても高貴な、真剣で、真摯な行いなのです。

「遊びの意味」について3月15日ごろ載せます。

2013 年 2 月 15 日 金曜日
古代では、まだ親の庇護のもとにあるころは別ですが、離乳をすると、子どもは親からは放っておかれていたでしょう。ですから、特に仕事が与えられないころは、子どもたちは自分たちでいろいろなことをして過ごしたことでしょう。毎日は、子どもたちにとっての「遊び」をしていたでしょう。しかし、それは、大人にとって、仕事を邪魔されない限り、なにをしていようが特に興味はなかったのかもしれません。もちろん、そのころの遊び道具は、特別にそのためにつくられたものではなく、身の回りの物、自然の中にあるものを使っていたでしょうし、大人の使っているものを真似して遊んでいたでしょう。ですから、「遊び」という概念は、最初は大人がするものとして使われていたようです。初めてこの「遊び」という語が出てくるのは、残っている書物としては、『古事記』の中に出てきます。そこでは、二通りの意味に使われていたようです。一つは、神代の弔いの場で行われた歌舞をさす言葉として登場します。そこでは、遊びは神事としての芸能を意味しています。今でも、祭りに行う歌舞を「神遊び」と呼んでいる地域もあるようです。もうひとつは、漁や狩猟にも「遊び」という言葉が使われているようです。それも、儀式めいた時に使われていたようです。それが、『万葉集』の中では、行楽や宴といった娯楽に使われるようになり、『源氏物語』をはじめとする平安時代の文学の中では、管絃や詩歌・舞などを楽しむことを意味する言葉として使われています。やはり、遊ぶ余裕は、貴族にしかなかったようで、一般庶民の間では、いくら大人であっても「遊ぶ」という概念はなかったかもしれません。しかし、次第に、心楽しく時を過ごすことを全般的に「遊び」と呼ぶようになっていきます。同時に、平安王朝の時代に、遊ぶときに、「手に持って遊ぶ」ということから「もて(ち)あそぶもの」、また略して「あそびもの」と呼びました。室町時代になると、御所などに仕える女房たちの間で「女房詞(ことば)」という、日常生活の言葉に省略や接頭語を用いて特別の表現をすることがはやります。そのひとつとして、この「もて(ち)あそび」を語源とし、「おもちゃ」という言葉が生まれました。この言葉も、子どもが持ち遊ぶものではなく、大人が持ち遊ぶものを指しています。 それが、中世になると、子どもの世界が顕現してきます。こうした中で、子どもたちは子どもの遊び方を確立していきます。西行は、晩年になると、「たはぶれ歌」を作ります。その内容は、子どもの頃の思い出や、現在の老境に至った心境を詠ったものです。そこには、子どものころをいとおしく思い出している姿が見られます。そこには、子どものころに遊んだ遊びが紹介されています。「麦笛、炒粉かけ、あこめの袖の玉襷、竹馬、隠れ遊び、雀弓、ひたひ烏帽子、土遊び、茅巻馬」などです。 「うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声におどろく夏の昼臥し」の歌からは、幼い子が麦笛を鳴らしていて、昼寝中に、その音ではっと目覚めたとあります。「竹馬を杖にもけふはたのむかな わらはあそびを思ひ出でつつ」という歌で「幼い時の遊び道具の竹馬を、今日は杖として頼む身になってしまった、子どもの頃の遊びが思い出されることだよ。」というのも、年をとるということは、同じものでもその用途が違ってくるということで、昔を懐かしむと同時に、月日の流れを感じます。また、遊びは、必ずしも道具はいらなかったようです。「昔せしかくれあそびになりなばや 片隅もとに寄り臥せりつつ」では、かくれんぼをして遊んだことを、今は臥している自分の姿から思い出したようです。 子どもの頃の思い出は、遊んだことが多いようですね。
2013 年 2 月 1 日 金曜日
 最近、幼児組のお部屋をのぞくと、移行してきたりす組の子と、慣れ親しんだ幼児組の子ども達が一緒に遊んでいます。今まで流行っていたカプラやスカリーといった積み木遊びやおままごとはもちろん人気ですが、更に、ボーリング屋さん遊びや新しい手作りすごろくも加わり、正月遊びも徐々に盛り上がってきています。一つ一つの遊びも日々進化を遂げ、子どもの自由な発想力や創造力にはいつも驚かされます。  子どもの頃「遊んでばかりいないで勉強しなさい」とよく言われたような気がしますが、子どもにとっての遊びは大人にとっての仕事や勉強、人間づきあいと同じだなと最近よく感じます。遊びを通して、生活習慣を身につけ、遊びを通して子ども同士のコミュニケーションをはかり、遊びを通して、保育士以上に人にものを教えること、どれをとっても大人以上のお仕事をしているように感じます。だからこそ、この乳幼児の時期に遊びの幅を広げ、多くの経験を積んでもらいたいと思っています。  2月14日には「伝承遊び」をみんなでします。保護者の方のお手伝いも来てもらい、楽しい会にしたいと思っています。お楽しみに・・・!!                      (おたよりの続き)  昨年のNKH大河ドラマ「平清盛」は、視聴率がとても低く、困ってしまったようですが、このドラマで第1回から劇中何度か歌われ、耳に着いてしまった歌があります。それは、「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ」です。少年の時より、今様と呼ばれる歌謡を好んだ後白河法皇は、歌の上手を召して多くの歌謡を知りますが、自分の死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にしたのが『梁塵秘抄』で、平安時代末期の歌謡集で、その中で詠まれたのがこの歌です。この歌をそのまま訳すと、とてもいい歌ですね。「私たちは、遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。遊んでいる子どもの声を聞いていると、感動のために私の身体さえも動いてしまう。」という様な意味でしょうか。このように子どもの純真な遊びを歌ったもの、遊び戯れる子どもの声の可憐さに、そのいとおしさに、自分の身体も一緒に動いてしまうというようなことは、園でも感じることがあります。子どもの遊びには、本当に大人から見ると意味のないものに見えても、心のうちからわき出てくるかのように無心に遊んでいます。その無邪気な声を聴けば、一緒に遊びたくなります。 もともと「遊」という漢字は、「あちこち歩いて回る、出かける、遊ぶ、」という意味があるようです。形声で声符は「斿」と書きますが、この斿は旗をもって外を旅することを表すようです。小学校3年生で習う「遊」という漢字の意味は、1 あちこち出歩いてあそぶ。「遊歩・遊覧/清遊」とか、2 よその土地に出かける。「遊学・遊子・遊説(ゆうぜい)/外遊・周遊・西遊(せいゆう・さいゆう)・曽遊(そうゆう)・漫遊・歴遊」が辞書では先に出てきます。この意味がもともとの漢字の意味のようです。そして、3番目の意味に「楽しみにふける」というのがありますが、この熟語として「遊戯・遊客・遊興・遊蕩・遊里/豪遊」という中で、子どもに使うのは「遊戯」くらいでしょうか。しかし、この言葉が幼稚園や小学校などで使われると、運動や社会性の習得を目的として行う集団的な遊びや踊りである「おゆうぎ」という意味が主になってしまいます。 『梁塵秘抄』に取り上げられた「遊びをせんとや」という遊びは、子どものどのような遊びを見ているのでしょうか。まりつきとか、凧あげでしょうか、どうも古代では遊びは、大人たちのものだったようです。『鳥獣人物戯画』に紹介されている庶民の遊びも、『石山寺縁起絵巻』にある遊びからは、大した道具など無くとも、古代の人々の豊かな「遊び心」を感じることができます。一方、宮廷などの上流階級でも、中国から渡来した遊具などを使った遊びが行われていたようです。将棋や囲碁、双六などの遊びであったり、蹴鞠や貝合わせ、羽子板、振々毬打などの遊びも、基本的には公家社会の大人の遊びだったようです。それが、どうして子どもにも遊びの文化が根付いていったのでしょう。 2月15日頃子どもの遊びについてHPに載せます。