乳幼児教育

発達の連続性

2012.10.31

   肌寒い風が園庭を通り抜け、秋本番の今日この頃です。外遊びにはもってこいの日が続き、元気に園庭で遊ぶ姿が見られます。運動会が終わってもうすぐ1か月になろうとしていますが、子ども達は運動会と同じものを用意してあげると、以前出来なかったことが楽々と出来るようになっている子を何人も見ます。一見、どうして運動会までにもう少し頑張らなかったのか?という保護者の方もいるかと思いますが、子ども達の中では目に見えないところでの発達過程があるのです。発達はある時突然開花するものではありません。日々の生活の中で、少しづつ少しづつ準備をしているのです。その準備が整った時、開花するのです。特に赤ちゃんを見ているとまったく意味のない事や変な事、危険なことをしていることがあります。しかし、それはすべてが次の発達への、もしくは将来への準備なのです。どの行動も一つも無駄なことはなく、すべてが意味のある行動なのです。
 どうか赤ちゃんが色々な物を口に入れている時でも、幼児が変わったものを作っている時でも、すべては将来花開くための準備をしているのだと思って、笑いながらほめてあげてください。

(おたよりの続き)
  発達の特性の中に、「発達の方向性」という概念があります。発達には、一定の方向性があるということなのですが、発達は何を目指し、どのようになろうとしているかということを人生の長いスパンからみてみると、その方向に確実に向かっていこうとして、それぞれの時期における発達があるような気がしています。その方向を見失わないことが、子どもの発達を援助する上で大切なことだと思うのです。人類だけでなく、すべての生き物は、自分たちの遺伝子を子孫に残していくという方向を持っていると思うのです。それは、生きていくうえで必要な能力、たとえば五感をどのように育てていくかという身体的なことだけでなく、人間ならではの方向性を持っているような気がします。たとえば、より効率的に遺伝子を残していく方向、すなわち、より善く生きるための改善や、改良する能力も受け継がれてきたと思います。たとえば、人間は、将来道具を使うようになり、その道具を改良、発明をしていきます。そのために、赤ちゃんは、さまざまなものに興味を持ち、キョロキョロし、いろいろなものを触ろうとします。
 また、逆に、遺伝子を受け継いだ赤ちゃんが持っている能力は、きっと、将来、生きていく上で必要な能力であるという気がします。この能力は、人間だけでなく、他の生き物でも言えますが、生きるうえで必要であるか、もし必要でなければ、その後その能力は消えていっているでしょう。
 人類がある方向性に向かって成長していくとき、それぞれの時期での発達は、その時期にだけ必要なのではなく、その後の生存に備えての発達であるはずです。ある日突然ものがつかめるようになるのではなく、それまでに物をつかむためのさまざまな芽生えが見られるはずです。それが、発達の「連続性」です。「発達の連続性」は、ある方向に向かって、絶える事のない連続的な発達のことです。発達は、休止や飛躍や突然現れるのではなく、表面的には発達が止まっているように見えたとしても、また、突然その発達が現れたとしても、身体や精神はいつでも変化し続けているのです。そのときに、その時期における行為を保障していくことが大切になります。それが、保育指針の保育の目標にある「今をより善く生きる」ことが「望ましい未来を培う力となる」ということになるのです。
 赤ちゃんが、大人から見ると、意味のないこと、無駄なことをしているように見えるときでも、きっと、将来のために必要なことを学んでいるに違いありません。不用意に制止したり、怒ったりする前に、少しそんなことを考えてみるといいかもしれません。
  大人が頑張って運動会に間に合わそうと必死でやっても、連続的な発達の過程で、その時が来ないと出来るようにならないのですね。日々見えない発達を見る努力と、子ども自身が自ら育とうとする意欲を大切にしたいですね。
HPにおいて発達の順序性について11月17日ごろ載せます。

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