乳幼児教育

遊びと生活

2012.08.11

   「生活」とは、なんだろうかと思った時に、この字から見ると、「生きて、活動すること」となります。ですから、この生活とは、人間に限らず、生きているものにはどんなものにも使います。 では、「子どもの生活」と使うときには、どのような意味が含まれるでしょうか。
 倉橋惣三は「幼稚園真諦」のなかで次のように述べています。「幼児のさながらの生活から出発し、生活を通して、それを本当の生活にしていくのが幼稚園の教育だ。」すなわち、生活の中に教育的価値を見いだし、どのように体験させていくかというところに、教師の計画的な環境構成や援助がいるとしているのです。良い教師とは、一日の生活の中で、そのような教育の機会を与える教師であるといいます。ですから、「幼児を教育すると称して、幼児を先ず生活させることをしない幼稚園に反対」とはっきりいっています。
 よく、園では、「コアタイム」とか、「設定保育」と称し、その時間内だけが保育であり、そのほかの時間帯は子どもたちの自由時間であるとして、週案などの保育計画はただこの時間内だけを立てたり、日誌も、この時間内での活動だけを記したりします。しかし、園は朝「おはよう」と登園してきてから「さようなら」と帰るまでが保育なのです。散歩に出かけるときにも、目的地での活動だけが保育ではなく、行く途中、帰り途中すべての時間帯が保育なのです。それは、子どもの生活そのものが保育だからです。倉橋は、「生活の教育化」という概念を持っていたのです。
 「生活の教育化」ということは、具体的にはどのようなことでしょうか。倉橋は、子どもは、自ら育つ力を持っている有能な存在である主体者であるという前提の下、子ども達は環境との相互作用により発達していくことから、環境を構成していきます。環境に主体的に関わることで子ども達は自己充実し、その中で必要な経験をし、保育者は、個々の子ども理解から、子どもに経験してほしい狙いを織り込んだ環境を構成し、個々の子どもがその環境の中で子どもにふさわしい生活を送ることができ、もし、子どもが必要としていることがあればそれに応じて答え、いつでもそのスタンスでいることを表明し、見守っている存在である必要があるのです。
 では、子どもにとっての「ふさわしい生活」とは、園生活の中でどのような生活を指すのでしょうか。彼は、その基盤は「遊び」であり、「主体的な活動」にあるとしました。「遊び」は、子どもにとっては「生きること」であり、「成長すること」そのものであり、まさに「生活」という、「生き」「活動」していることなのです。現在、小児保健の教科書には、「遊び」は「赤ちゃんの生活すべて」と位置づけられています。この遊びの意味は、乳児に限らず、子どもにとっては、「生きる」ための要素がたくさん詰まっているのです。
 子どもの「生活」と「遊び」は切っても切れない関係にあるのですね。

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