園長日記

2011 年 11 月 15 日 火曜日
 霊長類における脳の進化は、集団生活にともなう社会関係の認知の必要性によって促されたというのが最近の考えです。それは、いろいろな観点からも言われてきています。脳は、非常に小さいものですが、その役割は大きく、そのために、大きな代謝に要するコストがかかる器官です。たとえば、人間の脳の重さは体重の2%にすぎないのですが、エネルギーは約20%消費します。このような高コストの器官が進化するためには、それだけの役割が必要だとされてこなければなりません。霊長類の中のいろいろな種類を比較してみると、新皮質のサイズと相関があった要因は、唯一、集団のグループサイズだけだったそうです。それは、大きな群れで生活する霊長類にとっては、個々で生活するのと比べて、お互いの関係を構築するための能力が必要になるからです。たとえば、群れの中における順位関係や親和関係をきちんと理解し、他者をうまく社会的に操作することが、生存や繁殖のうえできわめて重要であるとされています。さらに、相手が何を欲し、何をしようとしているかというような相手の行動を予測する能力は、ミラーニューロンという神経細胞がなせるもので、お互いに相手の行動の共感、予測が知性の進化を、いっそう加速化させてきたのです。  このような霊長類の脳の中でも知性を担う大脳新皮質は、厳しい自然環境に適応して生きるために進化したと考えられていました。ところが実は、環境への適応よりも、むしろ社会集団の中で他のメンバーとの争い諍(いさか)いや軋轢(あつれき)を生き抜く社会的な能力を得るためだった、という説が、1970年代の半ばにハンフリーというイギリスの心理学者によって「社会的知性仮説」が提示されました。その後1980年代には、大脳は社会で権力を握る権謀(けんぼう)術数(じゅつすう)の能力を獲得するために進化したと考える「マキャベリ的知性仮説」が現れ、1990年、イギリスの進化人類学者ブラザーズが初めてヒトを対象にして「社会脳」(social brain)ということばを使い、ヒトの脳の大脳皮質が極度に発達しているのは社会集団の中で生き抜く社会性を身につけるためだった、というヒト脳の進化に関する「社会脳仮説」を提唱しました。これが、「社会脳」と呼ばれている脳です。また、イギリスの人類学者ダンバーは、いろいろな霊長類の活動特性を大脳皮質の大きさと比較し、ほとんどの特性は大脳の大きさと無関係だが集団の大きさはある程度の相関がある、という社会脳仮説を支持するデータを報告しました。  こうした研究が積み重ねられ、今日も社会脳仮説の検証が世界中で進められています。それらの研究の中でも、「共感」の研究は最先端のテーマの一つです。このような1970年代から90年代にかけて始まった社会脳や共感脳の研究に対して、日本では、バブル期における経済市場原理、個人主義の進行によって、「共感」「信頼」「公共性」という感覚を後回しにしてきました。私は、今回の東北大災害をきっかけに、もう一度その機能と、それが育つ環境を見直す必要がある気がします。  人類において知識・教養・人格はいずれもが個人から社会全体へと拡大し、また逆に社会全体から個人の内部へと浸透して拡大と収縮を繰り返しながら柔軟に発育発達しているので、「自分の子どもだけは良い子に育つように」と願うことは、親心として無理のないことですが、実は、社会脳の観点からはそのように考えることは子どもにとってプラスにはならないのです。自分の子どもが人類社会の一員であって、社会全体の知識・教養・人格と共同体を構成しているのだという「共に生き共に育つ」意識を社会全体と養育に関わる全ての人たちが共通の認識として持つことで、また、子どもたち自身にも持たせることこそが現代社会での子育てで最優先されなければならない重要事項なのです。それが、結果的にわが子のためにもなるのです。「他人のことは関係ない」という考え方や人生観は、子どもの成長や、社会脳にとって、最も有害であり、今後生きていくうえで、子どもたちには最も好ましくない考え方であるということをすべての人々が強く認識することが、人類の遺伝子を未来につないでいくことなのです。  子ども集団の中では、全ての子どもがより良く生きる仕組みが出来るのです。子ども達も、先生や友達との関わりを通して、それを感じていると思います。