園長日記

2011 年 4 月 30 日 土曜日
4月に入園してはや1ヶ月。新入園児達もだいぶ園での生活に慣れてきたようです。まだまだ、慣れない子は数名、職員におんぶされながらあちこちを行きかっています。良く見ると、職員の背中にはすっかり慣れたようで、落ち着いて色々なものを観察しているように見えます。「先生は何をしているのかな?」「お兄ちゃんやお姉ちゃんはこんな遊びをしているのか」などしゃべりはしませんが、そんなことを考えているかのような表情をします。もう少ししてくると、直接触れ、つかみ、引っ張り、なめ、そして、落とすというような行動が出てきます。今まで興味を示していた事を実際に行動に移すのです。これらの行動こそが今後の成長の基礎になっていきます。 多くを語らない赤ちゃんですが、おんぶを通して、大人の目線から物事を考え、その小さな頭の中で、多くの情報を入手しているのですね。 (おたよりのつづき) 日本では、昭和40年代になって母子健康手帳の内容が西洋式育児を推奨する内容に変わってから、一気におんぶや抱っこ、添い寝などの伝統的な育児法が衰退したといわれます。しかし、1983年、アメリカの生物行動学者のジェームズ・W・プレスコットは井深大氏への書簡の中で次のように語っています。『赤ちゃんの脳の発達と情緒的・社会的行動の発達にとって、決定的に重要なのは、スキンシップと母親が身体につけて赤ちゃんを運ぶ(おんぶ)行動なのです。赤ちゃん猿に対して、接触も運動も与えずに育てると、脳の障害を起こし、この猿は著しく異常な行動をとるようになります。つまり、抑うつ状態になり、社会性を失い、極端に暴力的になるのです。(おんぶなどの)日本的子育て法を捨てることによって、将来の日本は、家庭の崩壊、犯罪・暴力・殺人・自殺・麻薬中毒などが増加し、学習障害が現れ、日本の優秀な知的、創造的発達を阻害する結果になるでしょう。』と言っています。 また、大森貝塚を発見したモースは、日本の風習の中でおもしろい所に目をつけています。彼の著作「日本その日その日」に、スケッチとともにこんなことが書かれてあります。「子どもを背負うということは、至る処で見られる。婦人が5人いれば4人まで、子どもが6人いれば5人までが、必ず赤ん坊を背負っていることは誠に著しく目につく。(中略)赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、又私は今迄の処、お母さんが赤ん坊に対して癇癪を起しているのを1度も見たことはない。私は、世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほどよい赤ん坊は世界中にないと確信する。」と言っていたそうです。そして、おんぶの効用はスキンシップという面だけでなく、こんなことも言っています。「小さな子どもを一人家に置いて行くようなことは決してない、彼らは母親か、より大きな子どもの背にくくりつけられて、とても愉快に乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるもののすべてを見学する。日本人は確かに児童問題を解決している」そして、「(おんぶによって)あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買い物、料理、井戸端会議、洗濯など、身の回りで起こるあらゆることに参加する。彼らが4つか5つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間知を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ。」 このように子どもたちが他の人がするのを見ることは、社会性の発達の中で重要な役割をしていたのではないかということが最近発達心理学の中で重要視されてきているそうです。この行動を「共同注視(ジョイントアテンション)」というそうですが、おんぶにはそのような効果があったのであろうという指摘は、とても興味深いと思います。  さまざまな情報が行きかい、欧米諸国のスタイリッシュな抱き方が多く入ってくる中で、おんぶをもう一度見直してみたほうが良いかもしれませんね。 次回は5月15日ごろ載せます。
2011 年 4 月 15 日 金曜日
早稲田大学人間科学学術院教授の根ヶ山光一さんが、「発達行動学」の面から人間の子育ての特徴を言っています。「子育てを子別れとしてとらえるということは、愛や触れ合いで語られることの多い母子関係に「反発性」「分離」の意義を認めることである。」このような観点から子育てを語ることは、私は、少子時代では意識しなければならない気がします。ただ、私たちからすると「反発」という言葉は、そうしてもマイナスイメージがありますが、根ヶ山さんは、反発性は「健全」なものであるといって、このように説明しています。 「健全な反発性は子どもの自立を促す。過ぎたるは及ばざるがごとしということわざがあるが、親の優しさも行きすぎると子どもの自立をそこないかねない。苗に水や肥料を与えすぎるとかえってよくないのと同じで、要は親和性と反発性の適度なバランスが肝心である。たとえば出産も、体内での保護からの脱却と考えれば一つの反発性だし、離乳も母乳という保護手段の終焉を意味する。また親が歩行を促し、その結果歩けるようになることによって抱きという保護が不要になる。このように、子どもの自立の背後には母子の身体関係の変化が横たわっている。子別れに着目するとは、親子関係の発達において両者の身体がもつ意味を再認識するということでもあるのだ。」このような視点に立ったとき、子どもの発達について新たに注目されるべき切り口として「身体接触」という側面をあげていることは、まさに今の社会での問題のような気がします。このようにまとめています。 「そもそも動物が育児書も育児相談もない状況で首尾よく子育てができるのは、身体にもともと備わった感覚に身をゆだねてそれに導かれることが大きな理由である。それが身体の規定力というものである。これは子どもにも備わった能力であり、むしろおとなの身体がもつ規定力よりもはるかに強い主張性を持っていると考えることもできる。動物の親には、子どもの身体からの訴えかけに従うことによって、自然と適切な子育てに導かれているということが多々ある。そのような子どもの持つ主体性を再評価したいものであるし、それと同時にそういった主体性・能動性がのびのびと発揮できるような環境作りと、それをふまえたおとなと子どもの望ましい共生の創生を模索していく必要があるだろう。」そのようにしたいですね。