園長日記

2011 年 2 月 28 日 月曜日
 先日木月まつりが開催されました。今年のテーマは「親子で昔の遊びにふれ合おう」と言うことで、数多くの伝承遊びを用意し、大人も子どもも一緒になって遊びました。伝承遊びには、遊んでいく中で、多くの要素が自然と身についてきます。例えば“こま”は、紐を巻くための手先指先を上手に使う技術が身につきます。また、友達とのやり取りの中で、技を学び、共に競い合うということもします。時には負けて悔しいと思いまた練習をします。誰に言われるのでもなく、自ら学ぼうとする意欲が育つのです。どの遊びも練習をしなくては出来ないものばかりですが、今回のように、名人や上手に出来るお兄ちゃんやお姉ちゃんにあこがれてがんばるのです。このように保育園では、学校での学びとは違った学びが、日常の中に数多くあります。これらの経験をすることにより、学校での机の上での学びにつなげていくのです。 今度は名人どうしの競い合いをやりたいですね。 おたよりのつづき 子どもは、さまざまな遊びから社会を学んだり、生活の知恵を学んだり、もじやかず、科学を学びます。特に乳幼児施設では、小学校とは異なった学習方法で学んでいきます。小学校で教わる内容である「もじ・かず」の学び方も、遊びと生活の中から学んでいきます。そして、その学びは椅子にすわり、机に向かって学ぶのではなく、子ども同士の関わりの中で学んでいくことが多いのです。  たとえば、文字の中の「ひらがな」を学ぶときに、その文字が一つ一つの音を表していることを知らなければなりません。それは、単語の音節分解を知ることから始まります。小学校1年生の国語の教科書の上巻には、「りす」という単語のわきに「●●」というように2音節であることを示すドットがついてあることが多いのは、まずはそれを理解してもらうためです。これを幼児のころに理解するために遊んだのが、「しりとり」と「かるた」なのです。「しりとり」は、単語の最後の音節を最初に持っていって単語をつくっていくという遊びです。「りす」「すいか」という具合です。また、「かるた」は、文章の最初の単語の頭音の一文字が書かれてある札を取り合う遊びです。 「かるた」のいわれはあまり考えたことはありませんが、「カード」という単語をポルトガル語で表した言葉です。ドイツ語では「カルテ」、フランス語では「カルト」と言っています。このように、「カルタ」がポルトガル語であることや、現在、滴翠美術館に唯一残っている「天正カルタ」の図柄が、初期ポルトガル様式の特徴を持つことから、日本にカルタを伝えたのは、ポルトガル人ではないかと推測されています。今からおよそ400年前、九州各地の港に、ポルトガル船が相次いで入港しました。このポルトガル船が日本にカルタを伝えたということになれば、ポルトガル人が種子島に漂着した1543(天文12)年から、ポルトガル人来航禁止令がでた1639(寛永16)年までの、およそ100年の間に伝わったようです。 遊びの中には、文字数だけでなく、歴史や地理、探究心を増す要素も含まれています。幼いうちは「良く遊び、良く学べ」の言葉通り、いっぱい遊んだほうが良さそうですね。木月まつりの名人さんは、きっと幼い頃に良く遊んだ方々でしょう。素敵な方々ばかりでした。 p2190064

次回は3月10日ごろ載せます。

2011 年 2 月 15 日 火曜日
 子どもの権利条約の中でよく問題になるのが第12条です。しかし、私は、この条文こそ、今の育児、保育、教育の問題が含まれているような気がしています。特に、日本では、子どもは大人の奴隷とまではいきませんが、大人の言うことを聞いていればいいのだという考えが強いために、この条文の実践が遅れている気がします。この条文は、「意見を表明する権利」ということで、原文にはこう書かれてあります。「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」簡単に言うと、「子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、十分考慮されなければなりません。」ということになります。  このような条文をふまえて、保育がどの様になるのかということを、白梅学園大学の学長である汐見稔幸先生が、講演の中で、イギリスでの保育を例に挙げています。  「今日は公園に散歩に行くよ」と先生が言う。「花が咲いていてきれいだから、それを見に行こうね」と言った後、日本だったら「はい、並んで、手をつないで2列になって」とするのですが、イギリスの場合は違います。「Aちゃん、行く?Bちゃん、行く?」と、一人ひとりに聞いて、そして「行く」と選んだ子しか連れて行きません。要するに、いろいろなメニューを用意しているが、参加するかどうかはあなたが決めることですよ。つまり子どもの意見を表明させて、それを尊重しながら進めていくのです。  これは、イギリスの特殊な保育を例に出しているのではなく、子どもの権利条約に沿った保育をするとそうなるということなのです。2002年に「欧州評議会閣僚委員会で採択された勧告でも、この12条の中心的重要性を考慮に入れることが示されています。そこには、幼児施設の質の高さが示されています。  「良質な保育園、幼稚園は、子どもの社会的、情緒的、知的および身体的発達を促進することに役立つこと、子どもが自分にかかわる事項についての意見を聴いてもらえる可能性を生み出し、かつ意思決定の過程で子どもの意見が考慮されることを確保すること、コミュニティのつながりを維持すること、予防及び保護のための役割を果たしうること」とあります。意思決定に子どもの意見が考慮することは園の質の高さなのです。反対に教師の指示型、一斉に同じことをやらせることは、これからの教育では質が低いとされてしまうのです。これは、寛容及び平等の精神のもとで子どもが民主的社会に参加し、かつそこで責任のある生活を送るための準備を出来るようにすることが含まれていることを考慮に入れると言っています。  ここに言うように、子どもの意見の表明権は、責任を教えるためでもあるのです。汐見氏は「人間というのは自分で決めたことをやらない限り責任をとるということができないのです。」と言っています。少し前に「自己責任」という言葉がはやりました。今の若者は、自己責任を取らないということですが、それは決して若者のせいではなく、子どもに選択させず、言ったことをやらせてきた教育に問題があるのではないでしょうか。