乳幼児教育

1年の計は元旦にあり

2011.01.01

  新年明けましておめでとうございます。新しい年がスタートしました。お正月によく聞く言葉に「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり」という言葉があります。今日という日をどう過ごすのか、それは朝考えることで、それによって充実した日を送ることができ、また、この1年をどう過ごすかを元旦に考えることで、ずいぶんと毎日が違ってきます。物事は、最初が肝心ですし、よりよいスタートをきることが大切です。最近では脳科学の分野での研究が進み、乳幼児のころからの人との関わりについての重要性が、少しずつ分かってきました。そのような中、日本では江戸時代からすでに幼児に対してのしっかりとした考えがありました。今、もう一度古き良きものを見つめ直す時なのかもしれません。

おたよりの続き
  上の言葉と同じような言葉に、「一生の計は幼きに在り、慮(おもんばか)りを前にすれば、期に躓(つまづ)かず」というのがあります。これは、自分の生涯の生き方について、幼いときによく考えるべきで、年をとってからでは遅すぎるのです。同じように、思慮計画を十分にすれば、過ちを犯すことはないだろうということです。これは、後悔先に立たずということでもあり、後悔しないためには、事前によく、計画を練ることだと諭しています。同時に、幼児教育の大切さを訴えているのです。この言葉が書かれてあるのは、江戸時代中期に、勝田祐義編で寺子屋の教科書として使われた「金言童子教」という書の中です。
 この書は、正徳年間に刊行された、子ども向け教訓句の教科書で、先行する「実語教・童子教」をうけて、和漢の名句を集め、和文の注釈を施したものです。この中から話芸に引用されているものもかなりあるようです。もともとの「金言童子教」は、鎌倉時代、僧侶によって作られたもので、範とした「童子教」は、日本に古くからある「実語教」「童子教」という漢詩調の教訓集で、五字を一句とし、道徳の教科書として早くから活用され、金言・格言を一般化させる原動力ともなっていました。それを範として、江戸時代に勝田によって刊行された「金言童子教」も数多くの金言・格言によって、一般庶民の子弟に家庭や寺子屋などで道徳を教えたのでしょう。
 勝田は、この書の序文にこの書を出版するようになったいきさつを書いています。「本来、自分の子どものために書いた家庭内の文書だったのを、友人が見て『これはいい、役に立つから出版しなさい』と盛んに勧めるので、自分は出すつもりはなかったのだが、押し切られるようにして出版したのである」といっています。そして、たとえば「論語」のような本格古典への少年向け手引きとして書いたとも言っています。そこで、「鄙言を以て抄した」解説がついていて、子どもにもとても分かりやすいものとなっています。
  この書の最後に付け加えられて言葉に「子不教父過 学不成子罪」があります。この言葉のもとは、中国北宋時代の政治家・学者である司馬光が言った、「養子 不教父之過 訓導不厳師之惰」という言葉で、子どもを養っていながら何も教えなければ、それは父親として失格であり、教え導いて戒めなければ、それは師として怠っていることになりますという句からヒントを得たであろうと言われています。「金言童子教」では、父親が子に学問や道理を教えないのは重大な過ちであり、一方、教育を受けた子が学問のうえで一人前にならないのは子に非があるということを言っています。それは、これらの教えを受けるために寺子屋に通わせたり、子どもに諭すのは親の役目ですが、それを身につけ、実践するかは本人の問題であると最後に言っているのでしょう。
  イクメンと言われるお父さんたちが少しずつ増えていますが、江戸時代も家事はしないまでも、子どもに対して父親として学問や道理はしっかりと教えていたのですね。
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