園長日記

2010 年 9 月 30 日 木曜日

毎日の暑さが少しずつ和らいできた頃から、各クラスでは運動遊びをとりいれ初めています。それぞれの子ども達の表情を見ると、練習というよりも、冒険や探検をしているかのように、眼を輝かせながら楽しんで行っています。特に、乳児の活動は、保育者が意図して行っているにもかかわらず、自ら求め、本能のままに動いているかのように見えます。これは子ども達の発達を見定め、一人一人の子ども達に対して、今必要な課題や目標を取り入れているからです。自分の出来ることよりも少しだけ難しい課題を用意し、それを行っているからです。子ども達にとっては、まさに冒険であり、それをいかに乗り越えるかを楽しんでいるのです。運動会では、子ども達の日々の成長と難しい課題に挑戦する心をしっかりと見届けて頂きたいと思います。

おたよりの続き  今日は、保育園で、運動会の第1回予行練習でした。園では運動会を、「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」という目的と、「親子のふれあいをする」という目的、そして、「普段の保育をより深める」という目的に位置づけています。したがって、毎日練習するとか、その年齢ではできないようなことを披露するということはしません。予行練習の日が、初めてやる日のようなところもあります。 日本での運動会の歴史は1874年、海軍兵学校で、イギリス人ストレンジという東京大学予備門の英語教師が、教官指導のもと行った「競闘遊戯会(きょうとうゆうぎかい)」が、人に見せる運動会の最初といわれています。そんな運動会も、時を経て、様々な形にその姿を変えていきました。今、小学校の学習指導要領では、 学校行事については,「学校行事を通して,望ましい人間関係を形成し,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養い,協力してよりよい学校生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てる。」と定められており、その中で、運動会は、「(3) 心身の健全な発達や健康の保持増進などについての関心を高め,安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵(かん)養,体力の向上などに資するような活動を行うこと。」と位置づけられています。ということで、現在では全ての学校で運動会が行われています。日本の多くの学校で行われている運動会は、当日までに何度も練習があり、全体で予行練習を行い、万全の状態で本番をむかえ、当日は白線が何本も引かれ、明確に区画された会場で大勢の観客に見守られる中、生徒全員による入場行進、整列の後は開会式が行われます。引き続き全校生徒による準備体操がある。その後には、徒競走、ダンスやマスゲーム、団体競技、組体操、リレーなどの種目が続きます。これは、この学習指導要領によっています。また、競技内容も運動会の起源のひとつとして海軍兵学寮によるもの、その発展によって戦前は戦意高揚に利用されてきたことが影響しています。騎馬戦、棒倒しなどは、その名残と思います。  保育園の運動会は、体験を通して、日々の生活に潤いを与え、挑戦する気持ちを、日々のやる気や意欲につなげられるようにしたいと思っています。今年も楽しい運動会になりそうですね。たくさんの声援とお弁当をお願いします。

p9300054s

続きは10月10日頃に載せます。

2010 年 9 月 11 日 土曜日
生き物というものは不思議なものです。すべての生き物は、それぞれ己の遺伝子を子孫に残していくような遺伝子が組み込まれています。しかし、己の遺伝子を残すという非常に利己的な行為であっても、結果的に己だけでは生きていけないことを悟るのです。生き物は、環境に影響を与え、環境は生き物に影響を与えます。そこには、相互作用があります。また、それぞれの生き物は、それぞれに役割があり、その役割はそのうちのどれかがなくなっても全体が成り立たなくなることが多いのです。そのお互いに共生して成り立っているということは、なにも地球、宇宙規模だけの話ではありません。「荘子」斉物論では、人間の体の中の話を例に出してこんなことを言っています。います。 私たちの身体というのは非常に不思議なもので、心臓も肺も胃腸もそれぞれの役割があり、それぞれがそれぞれの役割をしていることでうまく機能しています。しかし、私たちは、それを意識しているわけではありません。そんなことは考えてもいません。それぞれを動かしている筋肉は、不随筋といって、意識を持って動かしていないのです。それなのに、健康であればちゃんと動いてくれます。また、それぞれの機能は、それぞれ関連し合っています。身体の諸器官は単にそれぞれの働きをするだけでなく密接に連携しています。しかし、この連携も、意識して行っているわけではありません。しかし、どこかで働きを統括していなければまとまりがつかないはずです。きっと、どこかに私たちの理解を超えた「誰か?」が居るのではないかということを、荘子は考えます。私たちの身体が統一をなしているのと同じように、長い年月の間、地球の臓器の一部として、我々も環境に対して、統一をなして生きてきたのです。  今我々が考えることは、小さな虫も、大きな地球に対しても、影響しあうもの同士、共生してる意識をみんなが持つことです。『全ての命に「ありがとう」。作ってくれた人に「ありがとう」「ありがとう」の気持ちをこめて、残さず、楽しく生きます。』・・・・・です。 p9300056