乳幼児教育

大人の遊び

2013.02.01

 最近、幼児組のお部屋をのぞくと、移行してきたりす組の子と、慣れ親しんだ幼児組の子ども達が一緒に遊んでいます。今まで流行っていたカプラやスカリーといった積み木遊びやおままごとはもちろん人気ですが、更に、ボーリング屋さん遊びや新しい手作りすごろくも加わり、正月遊びも徐々に盛り上がってきています。一つ一つの遊びも日々進化を遂げ、子どもの自由な発想力や創造力にはいつも驚かされます。
 子どもの頃「遊んでばかりいないで勉強しなさい」とよく言われたような気がしますが、子どもにとっての遊びは大人にとっての仕事や勉強、人間づきあいと同じだなと最近よく感じます。遊びを通して、生活習慣を身につけ、遊びを通して子ども同士のコミュニケーションをはかり、遊びを通して、保育士以上に人にものを教えること、どれをとっても大人以上のお仕事をしているように感じます。だからこそ、この乳幼児の時期に遊びの幅を広げ、多くの経験を積んでもらいたいと思っています。
 2月14日には「伝承遊び」をみんなでします。保護者の方のお手伝いも来てもらい、楽しい会にしたいと思っています。お楽しみに・・・!!                     

(おたよりの続き)
 昨年のNKH大河ドラマ「平清盛」は、視聴率がとても低く、困ってしまったようですが、このドラマで第1回から劇中何度か歌われ、耳に着いてしまった歌があります。それは、「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ」です。少年の時より、今様と呼ばれる歌謡を好んだ後白河法皇は、歌の上手を召して多くの歌謡を知りますが、自分の死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にしたのが『梁塵秘抄』で、平安時代末期の歌謡集で、その中で詠まれたのがこの歌です。この歌をそのまま訳すと、とてもいい歌ですね。「私たちは、遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。遊んでいる子どもの声を聞いていると、感動のために私の身体さえも動いてしまう。」という様な意味でしょうか。このように子どもの純真な遊びを歌ったもの、遊び戯れる子どもの声の可憐さに、そのいとおしさに、自分の身体も一緒に動いてしまうというようなことは、園でも感じることがあります。子どもの遊びには、本当に大人から見ると意味のないものに見えても、心のうちからわき出てくるかのように無心に遊んでいます。その無邪気な声を聴けば、一緒に遊びたくなります。
もともと「遊」という漢字は、「あちこち歩いて回る、出かける、遊ぶ、」という意味があるようです。形声で声符は「斿」と書きますが、この斿は旗をもって外を旅することを表すようです。小学校3年生で習う「遊」という漢字の意味は、1 あちこち出歩いてあそぶ。「遊歩・遊覧/清遊」とか、2 よその土地に出かける。「遊学・遊子・遊説(ゆうぜい)/外遊・周遊・西遊(せいゆう・さいゆう)・曽遊(そうゆう)・漫遊・歴遊」が辞書では先に出てきます。この意味がもともとの漢字の意味のようです。そして、3番目の意味に「楽しみにふける」というのがありますが、この熟語として「遊戯・遊客・遊興・遊蕩・遊里/豪遊」という中で、子どもに使うのは「遊戯」くらいでしょうか。しかし、この言葉が幼稚園や小学校などで使われると、運動や社会性の習得を目的として行う集団的な遊びや踊りである「おゆうぎ」という意味が主になってしまいます。
『梁塵秘抄』に取り上げられた「遊びをせんとや」という遊びは、子どものどのような遊びを見ているのでしょうか。まりつきとか、凧あげでしょうか、どうも古代では遊びは、大人たちのものだったようです。『鳥獣人物戯画』に紹介されている庶民の遊びも、『石山寺縁起絵巻』にある遊びからは、大した道具など無くとも、古代の人々の豊かな「遊び心」を感じることができます。一方、宮廷などの上流階級でも、中国から渡来した遊具などを使った遊びが行われていたようです。将棋や囲碁、双六などの遊びであったり、蹴鞠や貝合わせ、羽子板、振々毬打などの遊びも、基本的には公家社会の大人の遊びだったようです。それが、どうして子どもにも遊びの文化が根付いていったのでしょう。
2月15日頃子どもの遊びについてHPに載せます。

top